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『Shetland Hap Shawls, Then and Now』
シェットランド・ハップ・ショールの今と昔

ハップ・ショールの歴史と編み方を取り上げた新刊『Shetland Hap Shawls, Then and Now シェットランド・ハップ・ショールの今と昔』(2006年刊行)の取り扱いを始めました。

ハップ・ショールとは、シェットランド諸島で古くから、少なくとも150年以上前から編まれていた日常使いのショールのこと。
北の寒さを防ぐ防寒着として、また赤ちゃんのおくるみとしても使われていたというハップ(=「暖かな覆い」「暖かく包むもの」という意味の言葉だそう)は、シェットランドに同じく伝わる繊細でゴージャスな伝統ニット「シェットランド・ショール」とは違い、少し太めの糸を使ってざくざくと気軽に編まれているのが特徴のひとつです。

働く女性たちの日常着として編まれたハップは、その構造もとてもシンプルです。
「センター」と云われるまんなか部分は、基本的にガーター編み。そのまわりをレース編み(多くの場合「Old Shale」日本でいう藤編みが使われます)と縁編みで囲むという形が一般的でした。
簡単に素早く編めるように工夫された、まさに普段使いにぴったりなショールなのです。

カジュアルなガーター編みと、かわいらしいレース編みで編まれたハップのデザインは、現代の私たちから見ても魅力的です。
装飾的過ぎず、モダン過ぎない。機能的で美しいデザインといったらいいでしょうか。
そう感じる人は海外でも多いのか、近年、ハップ・ショールをアレンジしたパターン(Kate DaviesさんのA Hap for Harriet・2014年やJared FloodさんのQuill・2012年などなど)が次々と発表され、人気となっています。

地元の女性たちの日常着であったハップは、島外で取引される最高級のシェットランド・レースとは違い、記録があまり残されてきませんでした。



今回取扱いを始めた新刊『Shetland Hap Shawls,Then and Now シェットランド・ハップ・ショールの今と昔』は、そんなハップの知られざる歴史と編み方を、19世紀からの貴重な写真とともにひもといた一冊です(2006年刊行の本書は、ハップに光を当てた先駆的一冊でもあります)。

著者のSharon Miller(シャロン・ミラー)さんは、Rowan等で作品を発表しているイギリスのニット・デザイナーさん。彼女が古い赤ちゃん用のハップに出会ったことから、この本は生まれました(このハップのパターン・編み方も本書に掲載有)。



ニット・デザイナーらしく、ハップのパターン(編み方説明)も、たっぷりと収録。
ビンテージ・ハップから、四角形ではない変形ハップ、ヴィクトリア朝時代のハップをもとにしたパターン、レース部分の伝統的な色見本レシピ、伝統的な縁編みなど、ハップについて知りたい方にはもってこいの内容になっています。
また編むときのコツや「伝統的な編み方」「現代でよく使われる編み方」についてもきちんと解説されていて、うれしい限り。


長らく品切れで、入手困難だったこの本。
今回、ひょんなことから在庫が見つかったとのことで(シャロンの息子さんが倉庫で見つけたとか!)、急いで取り扱いを依頼しました。
詳しくはこちらの商品ページでも解説していますが、在りし日のシェットランド・ニッターたちの写真の数々だけでも興味深く、ニットに興味がある方はもちろん、世界各地の伝統文化、手仕事に関心のある方にも、ぜひ手に取っていただきたい一冊です(オールカラー。テキスト英文。チャート・写真多数)。

SHOPオープンしました

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本日、Shop部門をオープンしました。

今回は『暮しの手帖』創刊号(モダン!)、「いろは」創刊号(デットストックが見つかりました。たぶんこれが最後です)、戦前の図鑑&絵はがき、堀内誠一さんの貴重なガイド本『いりふねパリガイド』などなどを出しました。
これから少しずつ新しい商品をアップしていきたいと思っています。

以前、運営していた海月書林が通販をお休みしてからだいぶ時間がたちます。
その間にわたし自身も、本や古本をめぐる環境もずいぶん変わりました。
またインターネットの世界も(今回、Shop作成作業で身に沁みましたが)日々、たいへんな勢いで進化しています。

思えば、20代前半で海月を立ち上げたときは、まだ(それほど)価値のついていない古本に光を当てることがほんとうに楽しく、たくさんの方々に支えられながら、その楽しさだけで本を出し、「いろは」を立ち上げ、荻窪の店舗を持ったように思います。

あれから16年(ああ、もうそんなに!)。
いまのわたしになにができるのか、正直、手探り状態ではありますが、ここは初心にかえり、わたし自身がほんとうにわくわくできるもの、作り手のやむにやまれぬ想い(ここ重要!)がひしひしと感じられるものを選りすぐって並べていきたいと思います。
そしてたくさんの方々にその熱いパワーをお届けできたら、とてもうれしい。

どうぞよろしくお願いいたします。

※写真は、今日出した図鑑『日本蟹類図説』。商品紹介にも書きましたが、この美しい図画は、なんと蟹の研究で世界的に名高い著者自らがすべてを作成し、「原画の着色は妻茂子を煩はした」(序より)ものだそう。夫婦合作!

図書館通い  娘と読んだ絵本のはなし5 (2歳~2歳半ごろ)

pb5 前にも書きましたが、娘がちょうど2歳になったあたりで、私たち家族は今の家に越してきました。

 その後、通い始めた図書館は、おもに4館(プラス、たまに利用が2館)。
 週に二三度、いま思うと、ちょっとどうかしてるくらいの頻度で、せっせと通っていました。

 人生でマックスの図書館通い(借りるのはほぼ絵本のみ)で改めて気づいたのが、図書館によって「つい借りてしまう本」がずいぶん違うということでした。

 たとえば『かみのけちょっきん』は隣町の図書館借りることの多かった本ですし、『ふわふわくんとアルフレッド』は、わが町の図書館でしか借りたことのない絵本でした。
 逆にいつもの本を違う図書館で探そうとすると、在庫があるはずなのになかなか見つけられず、あきらめることもよくありました。

 おそらく各館で微妙に違う「棚の作り方」が原因だったのでしょう。「棚」が大事、というのは、これまでもなんとなく分かっていたはずでしたが、こんなにも! と身をもって知ったのは初めてでした。

この時期よく読んでいた絵本リスト
頻繁な図書館通いのおかげで、この時期から読む冊数がどどーんと増えました。そのためリストもすこし長めです。
※どの絵本もこの時期よく読んだものですが、この後も、何度もくり返しず~っと読んでいます(なかには5歳になった今でも大好きなものも)。なので月齢はあくまで参考程度に。

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『ぞうくんのおみまい』
おぼ まこと・作 福音館書店
病気になったおばあさんのお見舞いにリンゴを持って家を出た「ぞうくん」。友だちと町へ行くバスに乗ろうとしたけれど、あらら、やってきたバスはなんと満員! 襲い掛かる災難(と空腹)に耐えながらがんばる「ぞうくん」の姿に子どもたちもドキドキそわそわ。冒険気分を満喫できます。うさぎの女の子のワンピース(ひざ上)がサイケな水玉模様だったたり、おばあさんのお布団が総☆模様だったり、はじける70年代パワー(初版は1975年)もたまりません。

現在版元品切れ(絶版)のため情報ページがありませんでした / Amazonページ(パソコン)
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『コッコさんおはよう』(コッコさんシリーズ)
片山健・作 福音館書店
コッコさんが眠っているうちに、「そおっと」やってきて「ゆっくり ゆっくり」、しかし着実に、空を、犬を、林の鳥を静かに起こしていく「朝」。淡い水彩のにじみから生まれる豊かでしあわせな「子ども時代」が画面じゅうできらきらと微笑んでいるような、なんともいえない幸福感に充たされる一冊です。他のコッコさんシリーズは正方形に近い「こどものとも年少版」ですが、これは縦長の「こどものとも年中版」。シリーズのなかで(いまのところ)唯一ハードカバーになっていない本でもあります。
版元の本紹介ページ / Amazonは現在この本を扱っていないようです。他のコッコさんシリーズはこちら(パソコン)

『ふわふわくんとアルフレッド』(岩波の子どもの本)
ドロシー・マリノ・作 石井桃子・訳 岩波書店
表紙の男の子の名前は「アルフレッド」。その後ろでソファーに座っているクマのぬいぐるみが「ふわふわくん」。ふたりは何をするにも一緒の仲良し(つまりラブラブ)。ところがある日、アルフレッドのもとに新しいトラのおもちゃ「しまくん」がやってきて…。目新しいコ(しまくん)の登場で、古女房(ふわふわくん)との関係がガラリと変わるという、古くて新しい永遠の三角関係が、すばらしくキュートな絵で気持ちいいくらいさっくりと描かれています。男子は「モノ」に、女子は「関係」に惹かれる傾向があるといいますが、うちの娘も「関係」を描いたこの絵本がびっくりするくらい大好きで、何かにつかれたように何度も読んで欲しがりました…。
版元の本紹介ページ(現在品切れ) / Amazonページ(パソコン) / Amazonページ(モバイル)

『どこでおひるねしようかな』
岸田衿子・文 山脇百合子・絵 福音館書店
お弁当を食べてお腹いっぱいになった動物たちが、それぞれすてきな「おひるね場所」を探し、うとうととしあわせな眠りに入るまでを描いた一冊。「ほんの すこし あかるくて すこし くらくて しずかでね きもちのいい かぜ ふくところ」。岸田衿子さんのゆっっったりとした文章と、山脇百合子さんのやさしい絵が、「おひるね」の時間を明るく包みこみます。この時期の娘は、おひるねの前はいつもこの本でした。
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『クリスマスのふしぎなはこ』
長谷川摂子・文 斉藤俊行・絵 福音館書店
クリスマスの朝、「ぼく」が縁側の下で見つけたちいさな木箱。そっとあけてみると「あっ、サンタさんがいる」。プレゼントが楽しみ過ぎる「ぼく」と、「ぼく」の町に少しずつ近づいてくるサンタさん。時間の経過とともに高まる期待が、見開きごとに描かれる「ぼく」とサンタさんのおかげで、さらに盛り上がるものになっています。タンスや障子のある家、クリスマスケーキを食べながら日本酒で晩酌するお父さんなど、マットな色合いで描かれた、へんに外国っぽくない「日本の正しいクリスマス」も、この絵本が持つ独特の味わいに一役買っているよう。
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『トンガのきいちごつみ』
広野多珂子・作 ひさかたチャイルド
タンポポを摘んだり、赤い実を採ったり。散歩に出ても驚くほど進まない、この時期の子どもたち。低い目線のおかげで、いろいろなものが大人より大きく、そして興味深く見えてしまうのでしょうか。ヘビに出会ったり、キツネに襲われたり。ちいさな体でひとり(一匹?)、キイチゴを摘みに出かける子ネズミ・トンガの冒険は、そんな子どもたちにぴったり。トンガのミニ・サイズにあわせて、大きくかつリアルに描かれた春の草花にもうっとりします。
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『やまのディスコ』
スズキコージ・作 架空社
オープンしたばかりの「やまのディスコ」に出かけた、「しろうまのみねこさん」(表紙向かって左)と「やぎのさんきちくん」(同、右)。こっくりとした色合いで描かれた、たくさんの動物たちが繰り広げるお話は、すばらしく面白くでもどこか不思議な夢のようで、これぞめくるめくスズキコージ・ワールド。「くりのみ じゅっこ」とか「どぎまぎしていると」とか、思わずクスリと笑ってしまう言葉もすてき。
版元ホームページは(なんと男前なことに!)ないようです / Amazonページ(パソコン)
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『かえりみち』
あまんきみこ・作 西巻茅子・絵 童心社
あまんきみこさんの文章は、いつだってちょっぴり古風でやさしくって上品で、すてきに女の子っぽい「女学生」のよう。この絵本は、そのあまんさんのお話に、これまた女の子らしい西巻茅子さんの絵がそえられた、とても可愛らしい迷子さんたちの物語。かえりみちを探して泣くちいさい子さんたちの「あーん」という声や、「にこっ」と笑う「こぎつね」に、「くくっ」と笑う「こうさぎ」。読んでいてつい「にっこり」してしまうあまんきみこ節が楽しめます。わたしはこの本のお母さんが着ている水色のワンピースが憧れで、いつかこんな服が似合う女の人になりたいものだ、とよく思います。
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(わたしの持っている本(2013年重刷)より、図書館で借りた初版(1979年)のほうが印刷の色がきれいなので、西巻さんのモダンな色遣いをより味わいたい方は、初版を一度見てみるのもいいかもしれません)

『かみのけちょっきん』
松竹いね子・作  織茂恭子・絵 福音館書店
「じょき じょき しゃき しゃき ちょき ちょき ちょっきん」。この本の「みきちゃん」と同じく子どもの髪は「おかあさん美容室」で、というご家庭、多いのではないでしょうか(うちもそうです)。長く伸びた髪がさっぱりしていく様子が面白いのか、それとも散髪を嫌がる「みきちゃん」に感じるところがあったのか、この本もこの時期なぜかよく読んで欲しがりました。輪郭のはっきりした切り紙のような絵と、リズミカルなハサミの音が見事なハーモニーを奏でる、目と耳に残る絵本でもあります。
版元の本紹介ページ(現在、バックナンバーの在庫なし) / Amazonページ(パソコン)
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『ほら、きのこが……』(たくさんのふしぎ傑作集)
越智典子・文 伊沢正名・写真 福音館書店
白い網をかぶったキノコ、闇夜に光るキノコ、ハート型のキノコ、キノコ、キノコ…いろーんなキノコがたっぷりごっそり楽しめる写真絵本。けむりのような胞子を「プフォウ…」と吹き出す「ツチグリ」や、一晩で溶ける「ヒトヨタケ」なんて不思議なキノコの写真も。我が家では一通り読んだ後、裏表紙に並んだキノコの写真を眺めながら、本文のどこにそのキノコがいるのか探す「キノコ探し」をして楽しんでいました。しかし普通の家の柱(たぶん)からにょきっと生えた立派な「マツオウジ」にはびっくり! 衝撃の写真です…。
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『ぐりとぐらとすみれちゃん』
なかがわりえこ・作 やまわきゆりこ・絵 福音館書店
とってもかわいらしい女の子「すみれちゃん」が登場する、ぐりとぐらシリーズの記念すべき第6作目!(パチパチ)このすみれちゃん、なんと大きなかぼちゃを入れたリュックをしょって、ぐりとぐらのところへやってきます。すみれちゃんの可憐なワンピース、ぐりとぐらの家の壁にさりげなく飾られたリースなど、改めて読むぐりとぐらは普通におしゃれでかわいくて、簡単な内容なのに面白くて中身ぎっしりで、ああ、ほんとうにさすがの名作です。「あまい ぽくぽくの かぼちゃ」が大好きな娘は、かぼちゃのごちそうが並ぶシーンにもくぎづけでした。
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『わらって わにさん』
水野翠・作 福音館書店
いつも元気な「わにさん」が泣いている! それを見た「にわとり」は、「わにさん」を元気づけようと、「りす」「すかんく」「くま」「まんとひひ」(並べるとしりとりに!)を誘って、「わにさん」をなぐさめに出かけます。「わらって わにさん / わらって わにさん / わにさん わらってよー」…♪「にわとり」が「わにさん」のために作ったこの歌を、娘はしょげているわたしによく歌ってくれました(「わにさん」を「かあさん」に変えて)。笑ったり、泣いたり、なぐさめたり。お友だちとのやりとりがなんとなく分かってきたこの時期の子どもたちにおすすめの一冊でもあります。
版元の本紹介ページ(現在、バックナンバーの在庫は品切れ) / 現在、Amazonにも登録なし

『ちょっとかして』
きのしたあつこ・作 偕成社
おもちゃの飛行機でも、ヨットでも、むしとりあみでも、なんでも弟より「いいもの」を持っているお兄ちゃん。「ねえ、ちょっとかして」と弟が云っても、お兄ちゃんはいつも「だめ、ちびはそれでいいんだよ」。そんな弟の前にちいさなカエルが現れて……。 まだまだおもちゃの取り合いが多いこの年頃の子どもたちにとって「かして」は魔法の言葉。その言葉をめぐる、だれもが持っている葛藤(と欲望)が、色数の少ないちょっぴり外国っぽい絵で淡々と、でもどこかコミカルに描かれています。ミニサイズの判型もまたコンパクトで好ましい。
古い本(1979年初版)のせいか版元の本紹介ページなし / Amazonページ(パソコン)
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おはなしの入口  娘と読んだ絵本のはなし4 (1歳半~2歳ごろ)

 歩き始めたらまた大変よ~と周囲の先輩に耳打ちされていましたが、この時期は、はい、わたしもやはり大変でした。

 かわいくて、面白くて、楽しくてというときも、もちろんたくさんありましたが、ちょうどこのころ主人と離れて暮らしてたこともあり、目の離せない子どもをひとりで預かる責任に、なにかあったらどうしよう! と四六時中、よけいな心配をしていたような気がします。

 よってこのころ読んだ絵本のこと、じつはあまり記憶にないのですが、ひとつだけ覚えているのは、娘が林明子さん好きだと気づいたことです。

 前回紹介した『おつきさまこんばんは』でも、その片鱗は垣間見えていましたが、決定的になったのは、筒井頼子さん・作の『はじめてのおつかい』でした。
 まだ難しいかもと思いつつ図書館で借り、まずは文章をざっくり要約して読んであげたら、これが大ヒット。終わるやいなや、すかさずエンドレス・リピート体制で、返すときはひっくりかえって大泣きしました(祝・初の「返却拒否」)。
 その後に読んだ『ぼくはあるいたまっすぐまっすぐ』も強烈な「返却拒否」を受けたので、よほど好きだったのでしょう。

 そういえば、この時期、すこし難しいかな? と感じる(でも本人が好きそう&借りたいと云う)絵本は、まず話を要約して読んであげていました。
 たとえば『はじめてのおつかい』の最初のページは、おかあさんの絵を指さしながら「ひとりで、おつかい、いってくれる?」と云い、次は書いてある他の文章を読まずに、みいちゃんの絵を指さしながら「ひとりで!」といった具合にです。

 我が家の場合、ここでうまくいけば「つかみはOK」というわけで、案外すんなりとお話の世界に入ってくれました。

 と、たいへん過ぎて忘れていたと思っていたのに、こうやって書いているといろいろ思い出すものですねえ。ほんの少し前のことなのに、もう懐かしい。

絵本リスト
どの絵本もこの時期よく読んだものですが、この後も、何度もくり返しず~っと読んでいます(なかには5歳になった今でも大好きなものも)。なので月齢はあくまで参考程度に。

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『はじめてのおつかい』
筒井頼子・作 林明子・絵 福音館書店
赤ちゃんのお世話で忙しいママに頼まれて、近所の商店へ牛乳を買いに行くことになった5歳の「みいちゃん」。「ママのために」という重要(かつ小さな女の子が大好き)なミッションを胸に、さまざまな困難をクリアし、少し「おねえさん」になった自分になって帰ってくる。女の子の冒険小説としても読める内容が、林さんの温かく優しい、そして細かいところまで見事にこだわったかわいらしい絵で、さらに心躍るものになっています。お店の名前が作者の名をもじった「筒井商店」だったり、散りばめられたたくさんの遊び心にもノックアウト。
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『ぼくはあるいたまっすぐまっすぐ』
マーガレット・ワイズ・ブラウン・作 坪井郁実・文 林明子・絵 ペンギン社
おばあちゃんに教えられた通り「まっすぐまっすぐ」、道でないところもただ「まっすぐ」歩いていく男の子。男の子と一緒に新しい「道」を作っていくような感覚が、なんともいえないのでしょうか。5歳になったいまでも、娘は男の子が歩く見えない道を、指でなぞっては楽しんでいます。花とかイチゴとか出てくるものがいちいちかわいらしいのもうれしい。
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『おいしいよ』
神沢利子・作 真島節子・絵 こぐま社
トマト、にんじん、おさかな、ぶどう、りんごにケーキにソフトクリーム! 「ぼくの すきなものは これと これ きみの すきなものは なあに」。動物たちがそれぞれ大好きな食べ物をおいしそーに食べるシーンに、「ごはん」を食べ始めた子どもたちもきっと興味津々。茶色×ピンク(アリのページ)、黒×緑(ネコのページ)といった、70年代っぽいパキッとおしゃれな色の組み合わせもすてき(初版は1973年)。わたしが持っているのは福音館書店から出ていたペーパーバック版ですが(写真上)、現在は同じ内容のものがこぐま社からハードカバーで出ています。
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『どうぶつたちのおかいもの』
渡辺茂男・作 太田大八・絵 福音館書店
昭和の香りただよう商店街に、動物園の動物たちがなにやらお買い物にきた様子。紙屋で千代紙を買うヤギに、お煎餅屋さんでせんべいをみつくろうロバ…でもいったい何のための買い物? 家族で商店街へ行くことがハレの日の行事だったあの時代の、店によってガラリと変わる匂いまでもが感じられるような、太田さんのモダンで厚みのある絵がすばらしい。親も子も(もしかしたら、おじいちゃんおばあちゃんも)楽しめそうな、一冊で何度もおいしい絵本です。2014年にめでたく復刊したようで、現在はハードカバー版が入手可(写真はソフトカバー版)。
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『おはようミケット』
パトリス・アイスプ・作 やまぐちともこ・訳 福音館書店
広い子ども部屋に散らばる、たくさんの人形とおもちゃ。細いガラス窓の向こうには、いかにも外国風な屋根並みが広がり、朝食はココアにミルクにパンにジャム! パリに住む女の子とぬいぐるみの黒猫「ミケット」の一日を描いたこの絵本は、頭からしっぽまで限りなく華やかで明るくときに大胆な「外国」で、その強烈な異国感に、昭和の女の子だったわたしは衝撃を受けました。娘もこまごまとしたキュートな小物や、派手な色遣いが印象的なようで、この絵本はなぜかずっとお気に入りです。1979年初版の本で、現在、版元にはバックナンバーがなく、古本のみで入手可のよう。
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『いちご』
平山和子・作 福音館書店
まだスプーンやフォークが上手に使えないちいさな子は、手づかみで食べられるものが大好き。可愛くておいしい「いちご」は、なかでもその筆頭。あたたかい春が来て、緑色のいちごの実がなり、少しずつ赤くなり「さあ どうぞ」「あまいですよ。さあ どうぞ」とあちこちからうれしい声がかかるページ。娘も絵本のイチゴを大急ぎでエア採りし、両手でぱくぱくとエア食べし、最後は「おかーあさんもー」とたくさん採ってくれました(エアで)。リアルで温かみのある平山さんのイチゴは、ほんとうにおいしそう! 見ているだけでしあわせな気分になります。

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寝る前に  娘と読んだ絵本のはなし3 (1歳~1歳半ごろ)

pbok3fs 一歳を過ぎたころから日に二三度だった娘のお昼寝が、一度にまとまってきました。同時に寝かしつけも延々抱っこから、歌をうたっての添い寝(で、添い乳ナシ)に少しずつ変えていった覚えがあります。

 いわゆる“子守歌大作戦”となったなわけですが、当時のわたしには手持ちの武器(歌える歌)が、それほどありませんでした。

 そこで昔ながらの童謡を集めた絵本を探したのですが、残念なことにいい本がなかなか見つかりません。絵が少しばかり甘いアニメ風だったり、歌がずいぶん少なかったり……。ありそうでなかったのですね。

 『いっしょにうたって!』『いっぱいうたって!』は、そんなとき偶然知った絵本でした。誰もが知っている、でも歌詞をみないとなかなか歌えない童謡がたっぷり入っていて、真島節子さんの絵も上品でとても愛らしい。避難先の図書館で借りていっぺんで気に入り、すぐに本屋さんで注文しました。

 それからほぼ毎日、この二冊には、ほ・ん・と・う・にお世話になりました。
 使い過ぎてページはぼろぼろ、テープであちこち補修もしてありますが、道ばたでアリを見つけては歌い、お散歩でこいのぼりを見あげては歌い、寝かしつけ以外にもフル活用。いろいろな思い出が詰まった、文字通り手放せない本になりました。

絵本リスト
どの絵本もこの時期よく読んだものですが、この後も、何度もくり返しず~っと読んでいます(なかには5歳になった今でもときどき読んでいるものも)。なので月齢はあくまで参考程度に。

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『いっしょにうたって!』『いっぱいうたって!』(たのしいうたの絵本)
真島節子:絵 こぐま社
「20年前も、いまも、うたわれていて、そして、20年後もうたわれているだろう歌」をそれぞれ29曲づつ収録した歌の絵本。「小さい秋」「くつが鳴る」「あかとんぼ」「春が来た」「汽車ポッポ」「あめふりくまのこ」「こぎつね」などなど、誰もが一度は聞いたこと&歌ったことのある(でも、いざ歌えといわれてもなかなか正確には歌えない)歌の数々が、やさしく朗らかな真島節子さんの絵とともに収められています。子どもと歌いながら日本の豊かな四季を素直に寿げるのもうれしい。簡単な楽譜もついています。
『いっしょにうたって!』
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『いっぱいうたって!』
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『おつきさまこっちむいて』(ふしぎなたねシリーズ)
片山令子:文 片山健:絵 福音館書店
ちいさな子はお月さまを見つけるのがほんとうに大好き。大人は慣れてしまって何とも思いませんが、空にあんなものが浮かんでいるなんて(そして光ってるなんて!)、思えばすてきなことですよね。三日月、半月、雲間の月…。どのページにもちゃーんとあるお月さまが、そんな子どもの驚きと喜びをしっかりと充たしてくれるようです。またお月さまを見上げる「ぼく」の横にきまってお父さん、お母さんが描かれているのもうれしい。ほとんどの子どもにとって「お月さまの時間」=夜は、大好きな家族との時間でもありますから。
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『おつきさまこんばんは』
林明子:作 福音館書店
暗い空にお月さまが、少しずつすこしずつのぼってきて…。雲に隠れたお月さまが再び現れ、にっこりとまあるく笑うシーン。娘も一緒になっていつも幸せそうに笑っていました。細部まで磨きあげられた端正な絵、すっと頭に入ってくるやわらかで優しい言葉。上記の『おつきさまこっちむいて』と同じく、初めて「月」というものを知って以来、重度の月マニアになった娘が、とくに気に入っていた名作「お月さま絵本」です。
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『こやぎがめえめえ』(0.1.2えほん)
田島征三:作 福音館書店
「めええ」とないたり、「ぴょん」と跳ねたり、「ぽろぽろ」とうんち(!)をしたり元気いっぱいに遊ぶ、ちいさな「こやぎ」。勢いのある田島さんの筆使いも心地よく、読んでいるとこちらまで開放的な気分になってきます。我が家ではこやぎが転ぶページで、「すってん」と一緒に転ぶマネをするのが“お約束”でした。最後のページが「おっぱいを ちゅう ちゅう」というのも、満足感があっていいのでしょうねえ。
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『だるまさんが』
かがくいひろし:作 ブロンズ新社
ご存知、大人気絵本「だるまさん」シリーズ。娘もやっぱり好きで、「どてっ」では転び、「ぷしゅー」では小さくなり、「ぷっ」ではおならをしたマネをして、全身で堪能していました。一度、ちいさな甥っ子たちに読んであげたときは、それぞれが転んだり、伸びたり、それはもう大騒ぎ。でも最後の「にこっ」で、笑い顔いくつも並んだのには、思わずこちらも「にこっ」。どんな子どもにもヒットするだろう守備範囲の広ーい絵本ゆえ、プレゼントにもおすすめです。
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『たかーいたかい』
いしなべふさこ:作 偕成社
「ぼくのほうが たかいよ」と、椅子に登り、さらには机にあがっていってしまう男の子。なにかに登れば自動的に背が高くなる、という子どもがよくやる「身長のかさ上げ行為」が、かわいらしいイラストでテンポよく描かれています。シンプルな展開ときれいな色あいのせいか、わたしもちいさいころなぜかこの絵本が好きでした。正方形に近いミニ・サイズの厚紙製。
現在、版元品切れ(絶版)のため版元の本紹介ページがなくAmazonにも(今のところ)在庫がないようです

おうちになる  娘と読んだ絵本のはなし2 (6ヶ月~1歳ごろ)

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娘が八か月のときに東日本大震災が起きました。
 震災の翌日、福島県郡山市を出た私たちは、絵本を一冊も持っていくことができませんでした。

『きんぎょがにげた』『MEET COLORS』は、その後、三か月ほど続いた居候生活の間に買った絵本です。
 久しぶりの絵本に声を出して喜ぶ娘の姿に、しばらく忘れていた穏やかな「日常」が戻ってきたようで、心底ホッとしたような覚えがあります。
 
 子どもを膝に乗せ(または並んで仰向けになり)絵本を読み始めると、そこがすこしだけ落ちついた「おうち」になる。そんな絵本の効果を感じた六冊でもありました。

絵本リスト
どの絵本もこの時期よく読んだものですが、この後も、何度もくり返しず~っと読んでいます(なかには5歳になった今でもときどき読んでいるものも)。なので月齢はあくまで参考程度に。

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『きんぎょがにげた』
五味太郎:作 福音館書店
金魚鉢からぴょ~んと逃げ出した、まあるい金魚。さてさて、お部屋のどこに隠れてる? 五味太郎さんらしいくっきりとした色と線、そして大人から見るとかなり丸見えな金魚の隠れっぷりが、子どもたちのハートをつかんで離さない人気のポイントでしょう。逃げた金魚を指さして教えるときの達成感も○なようです。
版元の本紹介ページ
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『MEET COLORS』(LITTLE EYS2)
駒形克己:作 偕成社
グラフィック・デザイナー駒形克己さんによる「0歳からの幼児のためのカード絵本」「LITTLE EYE」シリーズの2。丸、三角、四角の穴が開けられた三つ折りのカードを広げると、ぱっぱっぱっといろんな色や大きさの形が魔法のように現れます。カードを手で広げるというアナログなプロセスも、子どもにとっては楽しいのでしょうね(破れにくく、手も切れにくい特別な紙で作ってあるので、ちいさな子どもにも安心です)。箱入り12枚セット。
版元の本紹介ページ
Amazonページ

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『おやすみなさいおつきさま』
マーガレット・ワイズ・ブラウン:作、クレメント・ハード:絵 瀬田貞二:訳 評論社
壁がみどりで、床がピンクの大きなお部屋。赤い風船が天井に浮かび、壁には赤々と燃える暖炉が。その部屋でベッドに入る、ちいさな子ウサギ。「おやすみ あかいふうせん」「おやすみ おへや」。ゆっくりと流れていく「時」に浸されるような不思議な温かさを持つアメリカ生まれの名作絵本です。
版元ページ(個別の本紹介ページはないようです)
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『どうぶつのおやこ』
薮内正幸:画 福音館書店
ほんものそっくりの動物の親子の絵が並ぶ、字のない絵本。「この赤ちゃん、なんていってるのかな?」と親子で考えてみたり、勝手にセリフをつけて読んでみたり。何度も読むうちに自然とその家だけの「どうぶつのおやこ」ができあがる。そんな包容力のある一冊でもあります。ちなみに我が家では、絵本にでてくる動物の親子のマネを実際にしてみる、というのをよくやっていました(娘が動物の子ども役で、私たちはもちろん親役)。
版元の本紹介ページ
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『ほっぺほっぺほっぺ』
内田麟太郎:作、長野ヒデ子:絵 童心社
表紙のかわいい女の子は「さっちゃん」。このさっちゃんが、タコ、おばけカボチャ、ワニ、山(!?)などいろんなものに抱きつき、次々と「ほっぺ ほっぺ」していきます。読みながら、また読んだあと、親子で「ほっぺほっぺ」し合うのもまた楽しい。子ども時代にしか味わえない、スキンシップのしあわせをぜひどうぞ。
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『ととけっこう よがあけた』(わらべうたえほん)
小林衛己子:案、真島節子:絵 こぐま社
ニワトリの「こっこさん」が、「ととけっこう よがあけた まめでっぽう おきてきな」でおなじみのわらべうたをうたいながら、動物たちを元気よく起こしていきます。奥付で作者の小林さんがおすすめしているように、我が家でもお昼寝のとき「ととけっこう よがあけた ○○ちゃん おきてきな」と子どもの名前を入れて起こす、というのをよくやっていました。
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歌の代わりに 娘と読んだ絵本のはなし 1 (0~6ヶ月ごろ)

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絵本リスト
どの絵本もこの時期よく読んだものですが、この後も、何度もくり返しず~っと読んでいます(なかには5歳になった今でもときどき読んでいるものも)。なので月齢はあくまで参考程度に。

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『まりーちゃんとひつじ』(岩波こどもの本)
フランソワーズ:作、与田凖一:訳 岩波書店
詩人でもあった与田準一さんのリズム感のある、少し古風だけれど味わい深い訳文がすてきな一冊。若干自分勝手ぎみのまりーちゃんもおもしろく、何度読んでも飽きません。「まりーちゃんとひつじ」「まりーちゃんのはる」の2編が収録されており、わたしはとくに前者を、もうほんとうに暗記できるくらい読み(歌い)ました。
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『せんろはつづくよ』(岩波こどもの本)
マーガレット・ワイズ・ブラウン:作、ジャン・シャロー:絵、与田凖一:訳、岩波書店
こちらも与田準一さんの訳文。西へ走る汽車の「ぱふぱふ」「ちゃぐちゃぐ」という音がじつに音楽的で、読んでいると思わず体を揺らしたくなってきます。息継ぎなしに一気に読めるテンポのいい文章も、汽車の疾走感にぴったり。渋い色あいの挿絵も格好いい。
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『にぁーう』(あかちゃんのわらべうた)
松谷 みよ子:作、長野 ヒデ子:絵、偕成社
雨の降る夜、おばあちゃんに拾われたちいさな子猫。少しずつ大きくなっていく猫とおばあちゃんの様子が、やさしい言葉で弾むように紡がれています。育児に奮闘する身には、ちいさくて弱々しかった子猫がおばあちゃんに守られてすくすくと育つ様子もありがたく、読みながら勇気づけられるようでもありました。作者は「モモちゃん」シリーズでも知られる松谷みよ子さん。
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『いないいないばあ』『いいおかお』(松谷みよ子 あかちゃんの本)
松谷 みよ子:文、瀬川 康男:絵、童心社
「いない いない…」とためた後、ページをめくり「ばあ」と云った時のうれしそうな顔! 『いいおかお』の最後「おいしい、おいしいはどーこ」で、その子なりの「いいお顔」をしてもらうのも、可愛くておすすめです。赤ちゃん時代のしあわせがたっぷりつまったような名作絵本。
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『ごぶごぶごぼごぼ』(0.1.2.えほん)
駒形 克己:作、福音館書店
カラフルではっきりとした絵、「ぷ ぷ ぷ ぷ」「ぷーん」といった変わった言葉の響き、本に開けられたたくさんの丸い穴。読んでも触っても楽しめる、赤ちゃんにはたまらない絵本です。福音館の「0.1.2.えほん」は丈夫な厚紙製のため、かなりハードに舐めてもへこたれず、本の角が丸くなっているのも安心。赤ちゃん時代はよくお世話になりました。
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『もこもこもこ』
谷川 俊太郎:作、元永 定正:絵、文研出版
「しーん」「もこもこ」「にょきにょき」……擬音と絵だけで進む世界は、言葉と世界がまだ未分化だったころの不思議な快感に充ちているよう。娘は最初の一言「しーん」を聞いただけで、うれしすぎて奇声をあげてしまうほどこの本が好きでした。もう少し歳があがってからは、声をそろえて一緒に「ぱく」と云うのも楽しかった。
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娘と読んだ絵本のはなし

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(写真↑は当時、図書館で借りていた貸し出し本のリスト。捨ててしまったものもたくさんありますが、娘の工作作品箱に一部をまとめて入れてあります)

 わたしが今の家に越してきたのは、娘が2歳のときでした。知り合いのまったくいない土地に越してきてしまったこともあり、それから一年半と少し、娘が幼稚園に入るまでの平日昼間は、ほぼふたりきりで過ごしていました。

 天気のいい日は公園へ行ったり、海へ行ったりしていましたが、わたしはもともとインドア派の人間です。だから毎日が「お外遊び」だけだと(残念ながら)正直、それほど楽しくないのですね。人間、母親になったからといって、そう簡単には変われないのです。

 そこで越してからすぐ、週二三回の図書館通いをするようになりました。図書館へは転居前にもよく行っていましたが、以前より頻繁に通うようになったのは、娘とふたりきりの時間が長くなったせいでしょう。
 
 図書館へ行くといっても(ちいさいお子さんをお持ちの方はお分かりかと思いますが)自分の本を借りることは、ほとんどできません。本棚の前でゆっくり本を選ぶ、ということがまずできないのです。せわしなく動く子どもを制しながらなんとか借りたとしても、四六時中の世話と注意を必要とする存在がいると(食事やトイレ中でさえ)、本を読む時間もあまりありませんでした。

 古本屋としてそれまで本まみれの生活をしていたわたしからすると、図書館に行って自分の本を借りないなんて、我ながら何が起こったのかと思うほどの環境の変化でしたが、でもだからといって仕方がありません。

 この子を膝に乗せて本を読んであげられる期間はもしかするとほんの少しで、これを逃すともう二度とないかもしれない。第一、お外遊びよりも絵本を読むほうがわたしにとっては楽しいし、お母さんがいい気分であるほうが、娘にとってもたぶんいいことだろう。
 そう思い、できるだけたくさんの絵本を読んでやることにしたのでした。

 さいわい娘も本が好きで、このころ図書館で借りて読んでいた絵本は、一か月におよそ100冊ちょっと。周辺の図書館、計四館を順繰りにまわって借りていました。
 もちろん100冊ぜんぶが違う本ではありません。気に入った絵本は何度も繰り返し読みたがるので、借りたことのある本をまた借りることもよくありました。
 選び方はいたってシンプルで、基本は娘が好きな本を選び、わたしはそれを見ながら時々新しいもの(気に入りそうなものや、すこし背伸びした内容のもの)を混ぜてやるといった感じで、これは5歳(年中)になった今でもあまり変わっていません。

 図書館で借りてほんとうに気に入った本は、できるだけ買ってやることにしていました。でもそれには条件がひとつあり、おとうさんとおかあさんが気持ちよく読むことができる本(内容や絵など)に限ることに決めていました。読み聞かせるのは親で、目的は勉強のためではなく互いのコミュニケーションのためなので、そのためにはみんなが楽しい気分になれるように、と思ったからです。

 娘の本棚にはそうやってそろえた絵本がたくさん入っています。
 最近は自分でも読めるようになり、借りる本も「自分で読む本」の割合が少しずつ増えてきました(このところは角野栄子さんの「おばけのアッチ」シリーズがブームだそうです。懐かしい~)。たぶんもう少ししたら図書館へも自分で行くようになるのでしょう。

 というわけで、この辺りで記録もかねて、0~3,4歳ごろの娘が喜んで読んでいた本を短いコメント付きで少しずつ載せていこうと思います。わたしが(元)古本屋だけにオーソドックスなものが多めですが、娘に読み聞かせるなかではじめて知った新しい絵本もあります。絵本の専門家でも絵本屋さんでもないので、どれだけ参考になるかわかりませんが、どんな本を借りようか(買おうか)迷っている方々のお手伝いに少しでもなれればとてもうれしい。
(…と、ここまで書いたら思ったより長くなってしまったので、本を載せるのはまた後日にします…ぼちぼち更新しますのでよろしくお願いします)

極上の通俗小説

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店をやっていたころ、古本を棚に入れる(またはネットに上げる)とき、つい読みふけってしまう本というのがありました。やめようと思っても、なかなかやめられない。この『ある美人の一生』もそうやって出会ったなかの一冊です。

獅子文六はご存知のように昭和を代表する小説家の一人です。
しゃれたユーモアーを感じさせる作品には、テレビ・映画化されたものも多く(『娘と私』など)、随筆『飲み・食い・書く』など食通としても知られていました。
脚本家でもあり、若いころ演劇を学びにフランスに渡ったという経歴の持ち主でもあります(ちなみに最初の奥さんはそこで出会ったフランス人です)。

小説の主人公は「わき子」という名の女性です。明治生まれの彼女は、幼いころから誰もが認める飛び切りの「美人」でした。対して妹の「きみ子」は、「不美人という方でもないのだが、少し、顔立ちに癖が」とありますから、今でいうとファニーフェイスという感じでしょうか。

美人の姉と、そうでもない妹。獅子文六は、タイプの違う姉妹の山あり谷ありの人生を、結婚、出産、子の病死、不妊、夫の不貞、隠し子発覚、家族の死といった女の人生のあれこれを織り交ぜながらぐいぐいと進めていきます。

獅子文六は人を描くのがとても上手な作家です。
たとえばすばらしい美人であるわき子は、自分の美しさをきちんと認識する一方で、美人としてのたしなみも常に忘れない、嫌になるほど生真面目な優等生として描かれています。また妹のきわ子は、容姿はそれほどでない分、人あしらいがうまく、そのざっくばらんな性格とコミュニケーション能力で世間(そして人生)をうまく渡っていくタイプの女性です。
長所も短所もくっきりはっきり容赦なく描いてくれるおかげで、登場人物に確かなリアリティが生まれています。

また女性特有の声に出さない「無言のやりとり」も獅子文六は見落としません。
若き日のわき子は、自分の結婚と妹の縁談を無意識に比べ、より恵まれていない妹の縁談に賛成します。また中年に差しかかり、家庭生活が安定してきた妹のきみ子も昔は感じなかった姉への優越感を「姉ほどの美人でなくても、姉よりも幸福な現在を、掴んでいる」と抱くようになります。
ユーモアーを感じさせるテンポのいい文体にくるまれているせいで、まろやかになってはいますが、互いの境遇を自然に(でも決して悪意なく)計ってしまうふたりの様子がズバリと書かれていて、ところどころに挟まれるそのやりとりこそ「女の人生」だと思い知らされるようです。

獅子文六は、気難しいことで知られた作家でした。
周囲の人々の、時にはありがたくない癖や特徴にすばやく気がつき、それらのエッセンスを見事に拾いあげることができた。有名な気難しさは、もしかしたらそんな作家の「才能」からきたものかもしれません。登場人物が魅力的なこの本を読んでいるとそう思いたくなってきます。
また基本的にはハッピーエンドで、一気に読んでしまいたくなる面白さがありながら、鋭い人物描写のおかげで俗に流れすぎない。そういう意味でいうと、彼の作品はイギリスの作家ジェイン・オースティンやアガサ・クリスティに通じるものがあるような気もします。

朝ドラなみの人生を生きる二人の姉妹を追いながら、時折表れるイタ気持ちいい人物描写にツボを押され、なかなかページを閉じられない。極上の通俗小説です。

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獅子文六『ある美人の一生』1965年 講談社(ロマン・ブックス・現在版元品切)
獅子文六『ある美人の一生』1964年 講談社(単行本版・現在版元品切)
(本文冒頭の画像は、ソフトカバーのロマン・ブックス版です)

シークレットサンタ

ginkgo tree

Winter Park

flower

ginkgo

シークレットサンタというものご存知でしょうか?
メンバーの名前が書かれたくじを引き、引いた人がそこに書かれた人の専属サンタになってクリスマスにプレゼントを渡すというレクリエーションで、主にアメリカの職場などで行われているのだそう(詳しい説明はここ)。

わたしは、ずいぶん前に読んだ小説『おせっかいなゴッドマザー (株)魔法製作所』(シャンナ・スウェンドソン、創元推理文庫)でこの遊び?を知りました。
今のところ全七巻出ているこの「(株)魔法製作所シリーズ」は、スーパー魔法使い(で、超リッチで超イケメンで超オクテ)な男子と平凡な女子が、まさかの恋に落ちて大冒険! という、日本の少女漫画をそのまま小説にしたようなうれし恥ずかしロマンチック大爆発な作品で、初めて読んだとき「へー、外国にもこういう志向をお持ちの方々(著者&読者)がいるのねえ」としみじみ感心したものです。

恋ありおしゃれあり冒険ありの内容も漫画のように面白く、妊娠中にこのシリーズを一気読みしたわたしは寝食を忘れて読みふけり、あっさり体調を崩しました(一巻から当時出ていた五巻まで)。
子育てに突入して以降のわたしが、できるだけ本と距離をとるようにしていたのは(最近はすこし時間が取れるようになってきましたが)、読み始めると何もかもうっちゃってしまうというこの性質が、なにか重大なことを引き起こしてしまいそうでたいへん危険だったからです(で、より中断しやすいニットにはしった)。

来年一月、新しいサイトをオープンしようと思っています。
SHOPページはしばらく準備中となりそうですが、ブログやニット・パターンはそれにあわせて新サイトに引っ越しする予定です。といっても、まだまだ作業が終わらず、おまけにもうすぐ娘の冬休み!
ほんとに大丈夫なのか……走りながら考えたいと思います。

『おせっかいなゴッドマザー』(シャンナ・スウェンドソン・創元推理文庫)→AMAZONリンク

※ 写真はすこし前の週末、家族で行った公園で撮ったもの。冬は光が清潔でいいですねえ。

「森の花嫁」

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「森の花嫁」という昔話を読みました。
読み聞かせのための冊子『おはなしのろうそく 2』に入っているお話で、フィンランドの昔話らしいのですが、これがもうすばらしく女子目線でとてもおもしろかったです。

お話はお百姓の父親が、三人の息子にそれぞれ花嫁を連れてくるよう命じるところから始まります。倒した木が指し示す方角に導かれ、上の二人は農場で許嫁を見つけますが、森に向かった一番下の息子が出会ったのは、なんと小さなネズミでした。
「お前なんか数のうちに入らないよ。ただのネズミだからな」
という息子に、ネズミは云います。
「私を花嫁にするのよ」

「ヒトではない」という、ある意味、究極の「容姿」を持った、異形の花嫁の物語は、世界各地に伝わっています(我が国でいうと「鉢かづき姫」でしょうか)。
蛙だったり、ネズミだったり、姿かたちは話によっていろいろですが、どの話にも共通しているのは、「どんな姿(容姿)でも構わない」と甘くささやくヒーローの存在です。

「森の花嫁」でもそれはやはり変わりません。
下の息子は森で会った小さなネズミを、その美しい歌声から花嫁にしてもいいと(あっさり)思い決めます。そして父親が許嫁を見たいと云った時も、
「いいさ、笑われたって。あいつは、今まで立派に俺の許婚の役を果たしてくれたんだ。俺だって、あいつのことを恥ずかしいなんて思うまい」
とキッパリ断言するのです。

おまけに父親に会うために家を出たネズミが、予期せぬ出来事によって川に落ちたときも、
「ああ、可哀想に! 溺れてしまって……。(中略)俺はほんとにお前が好きだった……。お前のほか、一体誰を花嫁にすればいいんだ……」
と、ホッとするどころか本気で悲しんでくれるのです。
どんなに気立てがよかろうが、家事能力が高かろうが、ネズミと結婚、といわれて了解する男など、現実社会ではほぼ皆無だろうにすばらしい。
筋金入りの「中身重視派」なのです。

もちろん最後は、許嫁のネズミは悪い魔法にかかった王女だった、というオチで、息子は「世にも美しい」妻と王国(冨)を同時に手に入れるわけですが、それさえも「どんな姿でもいいと云った息子へのご褒美」のようで、この話ぜんたいが、容姿にとらわれる男子への女子的呪いのようでもあります。

でもしかし。そもそもの話、世界中にある異形の花嫁の話って、いったい誰が作ったのでしょうねえ。男の人ではなさそうだ、と思ってしまうのは、わたしだけでしょうか。

 「森の花嫁」『おはなしのろうそく 2』東京子ども図書館編 大社玲子さし絵

短い童話や民話、手遊びなどを集めた、主に読み聞かせのための薄くて小さい冊子で、1~30まで刊行されています。 収録リストなどは、公益財団法人 東京子ども図書館「おはなしのろうそく」。

『北欧〈伝統の編物〉』

読み返すたびに、なにかをもらえる。そういう本、誰にでもあると思いますが、『北欧〈伝統の編物〉』も、わたしにとってそんな本のひとつです。

この本は、今からおよそ35年ほど前、1981年のデンマークで出版されました。著者は、手工芸作家であるヴィーベーケ・リンド。日本では、日本ヴォーグ社から1983年に翻訳版が出ており、わたしが持っているのは、この日本語版です。

この本の何がすごいかというと、まず驚くほど豊富な情報量です。
用意された章は、ぜんぶで八つ。「羊毛から編物へ」「編物の可能性」「セーターとカーディガン」「ショールとスカーフ」「帽子」「ミトンと手袋」「ハイソックス」「羊毛製品の取扱い方」で、これだけだとすこし固めの編物教則本のようですが、肝心なのはその中身です。

たとえば、「帽子」の章では、ただ単によくある帽子の編み方を、簡単な図案(なんと本書はすべて手書き!)つきで解説しているだけではありません。
北欧の伝統的な帽子の編み方をいくつか取り上げつつ、「特別に温かい」二重の帽子を作るため、二枚の帽子を一度に編むという驚愕技法をさらりと紹介し(「2本の糸で編むダブル編の帽子」)、引き返し編みの一種で縦に編んでいく帽子の編み方を、「基本形を長くしてみたり、縁どりしてみたりすると、いろいろな型にアレンジできます」とのアドバイスつきで教えてくれています(「縦に編んだ帽子」)。

目をみはる技法の披露は、もちろん帽子だけではありません。
二本の糸を1目ごとにねじりながら、つまり編み込み模様の裏面のように編んでゆく「ねじり編」(ノルウェーやスウェーデンで使われていた「古い編み方」で、「普通の編込み模様の目よりも伸縮性があり、仕上がりがきれい」なのだとか)のミトンや、棒編みで作る「ニットのバイヤステープ」の編み方など、どのページにもキラキラと光る宝石のような技法が、ぎっしりと詰めこまれているのです。

そのうえさらにすばらしいのが、この本に一貫して流れている編み物への姿勢です。

たとえば、それはセーターの袖口を細くする方法に、よく現れているような気がします。袖口から肩まで徐々に大きくなる台形状のものを編むわけですから、普通に考えれば、増目または減目を使うのがいいのでは、と思うところですが、著者は増目に加えて、「袖口には細かい模様で、(編み込み模様の)配色糸を引っ張りぎみに編み、上にいくに従って徐々に模様も間隔も広く」していく方法もあるというのです。

ちなみに、編込み模様は(ご存じの方多いと思いますが)糸を引っ張り過ぎずに編むのが、基本中の基本で、そうしなければ編み地が見事に波打ち汚くなる、とこれは編込みを扱ったほとんどどの本にも書いてある、鉄板のセオリーです。
それなのに、その糸をわざと「引っ張りぎみ」に編んでしまうとは! 
場合によっては編み手の技術不足となりそうなことまで、「コツ」として使ってしまう。この底なしとも思える包容力は、目からうろこの衝撃でした。

思えば、我が国での編み物は、もともと明治期に外国から入って来た文化のひとつでありました。
羊がいて、羊毛があって、長い年月をかけて人から人へ、試行錯誤の末、受け継がれてきたものではなく、すでにある「知識」として上から降ってきたものだったのです。
「お手本」や「正解」にとらわれず、どんな技術もするりと吞み込み、いい意味で自分勝手に使いこなす。すばらしく自由な姿勢で編み物を楽しむ著者の姿勢からは、多くの自己流を呑み込みながら進化した「伝統」(本のタイトルにもなっていますが)の厚みと懐の深さのようなものも感じます。
もしかしたらほんとうの編み物とは、こういうものなのかもしれません。

『北欧〈伝統の編物〉』は、翻訳本であるため、すべての編み図がきちんとついている訳ではありません(海外の編み物本は、文章で書かれた編み方を追って編むのが一般的で、日本のような編み図がないのが普通です)。だから、これをそのまま使えば即、素敵な作品が一丁上がり、というタイプの本でないことは、残念ながら確かです。
それでも、北欧の伝統図案はこれでもかというほど載っていますし、編み物についての読みものとしても楽しめるインスピレーションの宝庫のような本なので、日本の編み物作家さんでも、この本を愛用している方、(私見ではありますが)多いのではないでしょうか。

このページの向こうに、まだ知らない世界がひろがっている。実用書であれ、なんであれ読者をそういう気持ちにさせてくれる本こそが(わたしにとっての)「正しい本」で、そういう本があるということは、やはりとてもうれしいことです。

 『北欧〈伝統の編物〉』

この本は、海外でも人気なのか、去年、アメリカで復刊され、手軽な値段で買えるようになりました(アメリカ版アマゾン【リンク】。表紙が違いますが同じ本で、中身も少し見ることができます)。日本語版は現在のところ残念ながら版元品切れ。読みどころの多い本なのでぜひ復刊して欲しいところです。

亡き妻へ 追憶集『白百合』 

「饅頭本」をご存知でしょうか?
饅頭のことを書いた本……では(残念ながら)ありません。故人を偲んで配られる追悼文集、または遺稿集を指す言葉で、お葬式のとき配られる葬式饅頭にちなんだ古書店用語です。

この饅頭本、故人がよほど有名でない限り、古書値はほとんどつきません。自費出版本の部類にはいる本ゆえ、内容も当然のことながら玉石混淆。なかには故人の華々しい(と思われる)業績を事細かに羅列した、辞典なみに分厚いものもあり、正直、「これ、もらってもちょっと困るなあ」と思ってしまうものも少なくない。
とはいえ、どんなジャンルのものでもそうですが、なかにはすばらしく面白いものもあります。少部数で非売品の、そんな饅頭本に出会うととてもうれしい。名もなき人の人生を、しみじみと教えてもらったような気分になります。
ずいぶん前、偶然手に入れた追憶集『白百合』も、そんな一冊でした。

編著者は、大正天皇の侍医であった西川義方さん。西川さんは『内科診療の実際』という、昔の開業医のほとんどが持っていたロングセラー(表紙の色をとって通称「青本」といわれたそうです)の著者でもあります。
そして『白百合』はその西川さんが40歳で急死した妻の一周忌に作った追憶集でした(西川さんは「追悼集」ではなく「追憶集」としているので、以下、ならいます)。
亡くなった奥さまは、明治25年、熊野、いまの和歌山県新宮市で材木商を営む裕福な家の末っ子として生まれたそうです。そして女学校を卒業後の19歳の春、東京帝国大学を卒業後、新宮病院長をしていた一まわり年上の西川さんと結婚。その後、日本医大で教えることとなった夫とともに上京。一家の主婦として20年余りに渡って家庭を支え、六男一女の七人の子どもを育てていたそのさなか、わずか二日の急患いで、亡くなってしまったといいます。末の子はまだ幼児でした。

いくら故人のためだとはいえ、追悼文集を作るのは、手間も時間もそして費用も、膨大にかかるものです。
おまけに当の夫は、大正天皇の侍医を務め、医者の六法全集ともいわれた本を残したほどの方。仕事に、執筆にと、さぞ多忙な日々を送っていたことでしょう。できるだけサクッとまとめたとしても、追悼集を出す、ただそれだけで、もう充分だったはずです。
ところが『白百合』がすごいのは、そんなサクッと感がみじんも感じられないところにあります。それどころか、こちらが驚くほどの手間のかけようで、その意外性がじつに興味深く、また胸を打つのです。

亡き妻のためには多少の労も惜しまない。
それはたとえば亡き妻の日記を掲載した章「妻の日記」からも伝わってきます。冒頭にそえられた、全12ページにも及ぶ西川さんの解説によりますとこの日記は、大正15年、大正天皇の侍医だった西川さんが、ヨーロッパへ医学旅行のため出発した年のものでした。一年の予定で旅立つ夫を見送るため、妻は船の出る博多まで一緒に行く予定だったといいます。ところが様々な事情で、ふたりは途中の神戸で別れざるを得なくなってしまいました。
「車中一人にて涙のかわくひまなし。生まれて初めての淋しさを覚ゆ」
その時の気持ちを、当時の日記にこう記した妻に対し、
「送りたくてたまらぬあなた、ついて行きたくてたまらぬあなたが、送って貰いたくてたまらぬ私、ついて来て貰いたくてたまらぬ私に送られて、私より先に汽車の客となって東へ、十分遅れて私は西へ淋しく旅立って行く」
と夫のほうも、じつに情熱的に振り返っています。

亡くなった妻への思いを熱く語る。『白百合』のどのページからもうかがえる、西川さんのそんな様子は、口下手で愛情表現が苦手、という私たちが抱きがちな「明治生まれの夫」とは、ずいぶん様子が違います。
けれども明治の終わりから大正にかけての時代はまた、与謝野晶子・鉄幹夫妻を中心とする浪漫主義文学運動のおこった時代でもありました。
「本当に私は淋しい、本当に私は悲しい、妻よ、妻、なぜ、あなたは死んで往った」
『白百合』のメインを飾る夫による追悼文「妻よなぜ死んだ」(じつに直球なタイトルです)で、こう書く西川さんは、同じ文章に、
「男は強く且(か)つ大きくありたい。然し蜘蛛の糸を揺(ゆす)る微(わず)かな風にも、情感の琴線は顫(ふる)わしたい」
との信念も記しています。対面を気にせず、自らの思いを率直に表現する。西川さんは、もしかしたらそれこそが真の男らしさであると思っていたのかもしれません。

さて、内科医であった西川さんは、もうひとつ、意外な顔を持っていました。それは各地に残る温泉の効能を研究する「温泉博士」としての顔です。
『白百合』によりますと、じつはこの「温泉研究」は亡き妻との旅行を兼ねて行っていたもので、いずれは集めた資料を整理し、夫婦ふたりの共著としてまとめたいと考えていたのだとか。
「元来この書は、亡き我妻やす子との共著たるべきものである」
一周忌に間に合うよう、『白百合』と共に上梓した『温泉と健康』の序文で、西川さんはこう記しています。そのうえで「共著」という章を『白百合』にもうけ、
「私の総ての著書は、あなたに依って慰められ、励まされて成ったものであるから、(略)あらためて、あなたにお礼を申すことにしました」
と、ロングセラー『内科診療の実際』やこの『温泉と健康』を含む、これまでの著書すべての序文を収めています。

不勉強なわたしは、『白百合』を手に取るまで、西川義方さんというお医者さまのことを知りませんでした。しかしながら、こんな明治生まれの人がいた。それを教えてくれたのは、西川さんが妻のために作ったこの渾身の一冊があったからで、そういう意味でいえば、この「饅頭本」もふたりの立派な、そして最も大切な共著のひとつ、ではないかと思うのです。

 『白百合』 編集兼発行者・西川義方 昭和7年発行

この本は、国会図書館に収められており、目次等の書誌情報もこちらで見ることができます(iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001923956-00)。
また池内紀さんの著書『二列目の人生』(集英社文庫)にも、西川義方さんについて取り上げた章があり、これによると西川さんは、三千ページにもわたる『内科診療の実際』の70版に及ぶ改訂のために、「たえず新しい医書にあたり、うまずたゆまず筆記した」のだそう。筆まめで律儀で、意欲と誠意にあふれたその姿勢は、『白百合』にも通じるものがあるようです。

31日(Fri) モモちゃんとアカネちゃん

寝る前は本の時間という方、とくにちいさなお子さんのいるご家庭では、結構、多いのではないでしょうか。我が家でも、ご多分にもれず消灯前は読書(というか読み聞かせ)の時間。
本を選ぶのは子どもの役目で、同じ本ばかりを持ってくる時期もあれば、 読んだことのない本ばかりを選ぶ時期もあります。
その娘が、ここ最近、はまっているのが「モモちゃんとアカネちゃんシリーズ」です。

「モモちゃんとアカネちゃんシリーズ」は、ご存じの通り、松谷みよ子さんによる児童文学の名作です。
『ちいさいモモちゃん』から『アカネちゃんのなみだの海』まで、ぜんぶで六巻あり、最終巻が出たのはなんと1992年。完結まで三十年かかった長期シリーズだそうで、お話のなかのモモちゃんも、最後は中学生のおねえさんになっています。

じつは、このシリーズ、わたしも小学生低学年のころ、おそらく三巻あたりまで読んだことがありました。
パパとママが離婚したり、ママのところに死神がきたり。作者である松谷さんが、自らの家庭をモデルに記したというお話のなかには、児童書にしてはなかなかハードな内容も多分に含まれ、最初は4歳児にこれが分るのか? と、案じながら読み進めていたのですが、そこはやはり名作でした。
「次はなんのお話かねえ?」
分っているのか分っていないのか不明ながら、当の本人はいたく気にいったようで、毎晩、熱心に読んでくれとせがんできます。

しかし自分が子どものころに読んだ児童書を、大人になり、親になってからもう一度読むというのは、なんだかとても変な感じですねえ。
たとえば、ママの帰宅が遅くなりモモちゃんが怒り狂うシーン(モモちゃんのママは「お仕事ママ」なのです)、はたまた水ぼうそうになったモモちゃんがキュウリの「いぼいぼ」にお薬代わりの糊を塗ってしまう場面。
読んでいるわたしの気持ちは、昔読んだ時のようにモモちゃんの「怒り」や「喜び」に大きく共感する一方で、そんなモモちゃんの様子に「つらい」とか「困った」と感じる親の気持ちにも強く傾きます。
それはまるで、一つのシーンを違う角度から撮った二重写しの映画を観るようで、いったいどちらに焦点をあてて観ればいいのか。なんだかどうも混乱するのです。

そういえば、わたしが子どもを産むはるか前のこと。なんのきっかけでそうなったのか、実家の母と映画館で「千と千尋の神隠し」を観たことがありました。
たしか映画が始まってすぐでした。ふと横を見ると、母が泣いてました。豚になったお父さんとお母さんにショックを受けた千尋が、泣きながらおむすびを食べるシーンだったと思います。
そのシーンを、これから始まる冒険の幕開けとして胸躍らせて観ていたわたしは、突然泣き出した母に、いたく困惑しました。「あ、あの、ちょっと、なに?」と、よく分らないところ(とその時は思った)で泣く母を恥ずかしく思ったことを覚えています。

一度持つと、なかなか外せない。そういう意味で「親としてのレンズ」を持つことが、良いことか悪いことなのかは、正直、わたしにはよく分りません。
でもこのレンズのおかげで、以前は気がつかなかった感情および視点を知ったこともまた事実です。たぶんいまのわたしは、千尋が泣きじゃくるあのシーンで、あの時の母と同じように泣いてしまうことでしょう。

さて、一巻から少しずつ読み進めてきたシリーズも、来週、いよいよ最終巻に突入します。巻末についているあらすじ紹介によりますと、どうやら最終巻『アカネちゃんのなみだの海』で、モモちゃんとアカネちゃんのパパが死んでしまうようです。
ああ、わたしは冷静に読めるのでしょうか。読みたいものです。

 『ちいさいモモちゃん』他、全六冊 松谷みよ子 講談社

文中、ひんぱんに出てくる「もうせん」という言葉は、「ずっと前」「以前」という意味の東京言葉なのだとか。「モモちゃんとアカネちゃんシリーズ」は、いろんな版型で出されていますが、我が家では読み聞かせ対応として、寝転がって読んでも重くない、文庫および新書サイズの「青い鳥文庫」で揃えています(上画像は旧版の文庫で、現在は酒井駒子さん挿画の新版が発行されていますよ)。

3日(Fri) 水の道 『“きよのさん”と歩く江戸六百里』

「水の道」を知ったのは、五六年ほど前のことでした。
きっかけは「きよのさん」だったと思います。

「きよのさん」とは、山形県鶴岡市の豪商の主婦。今から230年余り前、1787年に生まれた、実在の女性です。
そして『“きよのさん”と歩く江戸六百里』(金森敦子・注1)は、彼女が記した旅行メモ(道中日記)を、歴史家である金森敦子さんが読み説いた一冊で、わたしが「きよのさん」を知ったのも、この本からでした。

当時の国内旅行は、「往来手形」というパスポートが必須、というところからして、今の海外旅行と同じくらい、いや、それ以上の一大事であったことでしょう。きよのさんは、そんな時代、連れの男性ふたりと鶴岡を発ち、江戸から伊勢をまわって京に寄り、北陸を通って帰ってくるという、総日程108日の長旅をこなします。

関所抜けをしたり、遊郭見物(注2)をしたり、都会で着物やら雑貨やらの最新アイテムをここぞとばかりに買いこんだり。武家ではなく商家の、それも家付き娘という境遇もあったでしょうが、貪欲に旅を楽しむきよのさんは、じつにたくましく、行動的で、教科書にのっていた「封建社会の女性」とは、ずいぶん様子が違います。

立派に整った江戸時代の旅行システムとか、お土産や名物といった今も変わらぬ日本の旅文化とか、この本で知ったことは多々ありますが、なんといっても面白かったのが、きよのさんがあたりまえのように使っていた「水の道」でした。

たとえば、彼女は旅の始めからして、最上川を舟でどんぶらこっことさかのぼります。また大阪から京都へは、夜汽車ならぬ夜舟で寝ている間に淀川をさかのぼり、伏見に到着(どうやらこの二都間は、舟で移動、が当時の旅の基本だったらしい)。琵琶湖では二度ほど舟に乗り、道のりをショートカットしています。他にも福井から三国湊へ、九頭竜川などを使って下ったり、富山の沼津では番所抜けのため、海上を闇夜に紛れて糸魚川まで航行したりもしている。

「川」も「海」も、明治以前の人々にとっては、等しく「道」だった。歴史に詳しい方にとっては先刻ご存じの話でしょうが、鉄道や道路が見事に発達したあと、「道」といえば「陸上の道」しか思い浮かばなくなっていた昭和生まれのわたしにとって、それは地図に隠された秘密の道が、ふいにあぶり出されたような驚きでした。

当時、東北に住んでおり、趣味でお菓子を巡る旅をしていたことも、「水の道」にさらなる関心を持つきっかけのひとつとなりました。青森の久滋良餅や山形の雛人形など、古くから伝わるお菓子や文化のなかにも、海や川の「道」を通して広まったものが少なくないことが、旅してまわるなかで、うっすらとですが分ってきたのです。
そこでここ何年か「水の道」関連の本を読んだり、ゆかりの場所に行ってみたり、日々、勝手に自由研究している訳ですが、先日、行った琵琶湖周辺もそのひとつでした。

ものの本によりますと、江戸時代までの琵琶湖は、「水の道」界(?)において、大きな力を持つ場所だったのだとか。
京都や奈良にほど近く、湖上を舟でゆけば、最短距離で日本海へ出られる。北前船による西廻り航路がさかんになる以前、江戸時代中期までの琵琶湖は、敦賀に陸揚げされた北陸や東北の物資を京へ運ぶ際に使われる、運河のような湖でもあったそうです。
電気や石炭がなく、今よりもっと時間がゆるやかに流れていた時代。たくさんの荷物を楽に運ぶことのできる「水の道」は、さぞ重宝したことでありましょう。

天智天皇による「近江大津宮」が、今の大津市に造られたのも、古代の大津が国際的にも、国内的にも重要な「港」であったからだといいます。それを示すように、都周辺からは渡来系集団の集落や、オンドルに似た住まいの跡などもみつかっているのだとか。
今回、壬申の乱で短命に終わった都、という歴史の授業で習った、おぼろげな単語をぶつぶつと復習しながら、近江大津宮があった辺りに建つという「近江神宮」にも寄ってみました。

近江神宮は、少しばかり変わった神社でした。場所こそ琵琶湖のほとり、近江大津宮跡にありますが、神社自体の歴史は比較的新しく、昭和15年創祀だといいます。
御祭神はあの天智天皇。境内には、日本で初めて時報を始めたというかの天皇にちなみ、水時計(オメガ社製)、火時計(ロレックス社製)、そして珍しい時計を展示する時計館宝物館もありました。

お守りも独特で、水色の「ときしめす守」というものは、「時の神様」である天智天皇が、進むべき時と道を示して下さるというありがたい一品。

また、三つ目の赤オニ(若干キュート)が砂時計を持つ「三つ目守」というのもあり、こちらは三つの目で「過去現在未来を見つめ、将来の開運を展望する」という、魔法の望遠鏡のようなお守りでした。
ちなみに近江神宮は、新年の百人一首競技カルタ大会が開催される神社でもあるようで、参拝者の中には競技カルタをテーマとした漫画(『ちはやふる』)の愛読者らしき若者の姿もちらほらと見られ、彼らを対象としたお守りグッズもありましたよ。

きよのさんが旅に出たのは、31歳のときのことでした。
現代の感覚でいうと、身軽で楽しい「女子旅」適齢期ですが、そこは寿命などが異なる江戸時代のこと。このときすでに14歳の長女と、手がかからなくなっていた長男がいたのだとか。子育てが一段落した後の自分へのご褒美のような「大旅行」だったのかもしれません。
次はどんな場所にたどりつくのか。各地の名所旧跡を次々に制覇してまわるきよのさんの旅行は、ほんとうに楽しそう。今はなき「水の道」に素直に感心してしまったのも、そんなきよのさんの姿があったからこそだと思うのです。

注1…『“きよのさん”と歩く江戸六百里』(バジリコ株式会社・画像一番上)は、現在は、ちくま文庫より『きよのさんと歩く大江戸道中記―日光・江戸・伊勢・京都・新潟…六百里』として刊行されています。
 //www.chikumashobo.co.jp/product/9784480429155/

注2…明治45年(大正元年)、「青鞜」で知られる平塚らいてう等「新しい女」たちが、遊郭見物をして大バッシングを受けた「吉原登楼事件」がありましたが、江戸時代の吉原は一種の観光名所で、見物に訪れる女性の姿が絶えないような場所であったとか。また他の旅行記にも、らいてう達と同じように男性と一緒に遊郭にあがり、遊女たちと酒を飲んだ女性の姿があるので、吉原イコール男しか入れない場所では決してなかったようです。