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5/11◎入荷
『婦人画報』文化人縁戚関係

ドイツの白糸刺繍関連本、大正時代の「婦人画報」など入れました。

『婦人画報』 大正七年七月号
ドイツ 新しいハーダンガー『Hardanger. Neue Stick』
ドイツ『burd 総集編 2』 カーペット・織物・パッチワーク・ホワイトワークなど
東ドイツのホワイトワーク本『Weissstickerei』
ドイツの白糸刺繍シュヴァルム本『Die Schwalmer Weissstickerei』

ドイツのホワイトワーク関連本は、まとめて入荷がありました。
次回の更新でも関連本を少し入れられそうですので、そちらをご覧になってから、まとめての発送をご希望の方は、ご注文の際その旨、通信欄にお書き添えください。

また今回の『婦人画報』にも当時のセレブ写真がずらりと掲載されています。写真に添えられたキャプションは、なんと日本語・中国語・英語の三ヵ国語のトリリンガルです。

『婦人画報』 大正七年七月号


わたし的に、ほーと思ったのは、厨川白村の奥さま蝶子さんが、福地桜痴の娘さんだと始めて知ったこと。本誌のキャプションに書いてありました。
厨川白村とは、大正時代のロマンチスト青年に大大流行した『近代の恋愛観』の著者で英文学者です。当時、あの有島武郎(「白樺」同人で『婦人公論』記者であった人妻と心中)と人気を二分したといいますから、大正浪漫の中心人物のひとり、といってもいいでしょう。が、関東大震災の津波が原因で、本誌発行5年後の大正12年に惜しまれつつも逝去。詳しくはこちら(→ wiki
また福地桜痴はジャーナリストで劇作家で政治評論家で明治期のものを読んでいると、まあとにかくいろいろなところからよく顔を出す、マルチな活躍をした方です。一般的には『東京日日新聞』の社長としてが最も有名でしょうか。詳しくはこちら(→ wiki
縁談は知人の紹介から、が一般的だった当時、文化人縁戚関係もいろいろあっておもしろそうですね。

明日から暑さが戻ってくるとか。
どうぞよい週末を!

5/8◎入荷のお知らせ 『婦人画報』掲載は上流階級の証

スウェーデン、ノルウェー、ドイツの刺繍、織物本、日本の雑誌など入れました。

『婦人画報』 大正七年十一月号
ドイツ『伝統の美しい刺繍パターン』Die schonsten Stickmuster aus alter Zeit
ノルウェー『織物の本』Vevebok
スウェーデン『刺繍ステッチ集』

大正時代の婦人画報については、こちら(→ LINK)にも書きましたが、写真が特別だった時代、上流階級・有名人のお写真がたっぷりと載ったこの雑誌は、庶民の手には届かない高級グラビア誌でありました。だから、この雑誌に写真が掲載されるのは一種のステータス。
初々しいご令嬢方(経歴付)、軍人一家の家族写真、そして海外からの日本を訪れた著名人まで、様々な人々の姿が華々しく収められています。
婦人誌なだけにどの写真もいかめしい公式お写真ではなく、私的な一ページといった趣なのも興味深い。

前回、お知らせした白樺細工のマニュアル本。いま日本へ向かっている途中です。
お楽しみに。

『TUOHITOIDEN KASIKIRJA 2』白樺細工のマニュアル2近日入荷予定

4/17◎入荷のお知らせ ラトビアのミトン編み込み模様集・河野鷹思・寺山修司

ラトビアのミトン編み込み模様集、河野鷹思図録、寺山修司本(サイン入り)など入れました。

『日本童謡集』寺山修司編著(サイン入り)
ラトビアのミトン模様集・575種『Latviesu Rakstainie Cimdi』
『河野鷹思のグラフィックデザイン 都会とユーモア』

ラトビアのミトン模様集・575種『Latviesu Rakstainie Cimdi』は、編込み模様がぎっしりと詰まったすてきな一冊。

ラトビアのミトン模様集・575種『Latviesu Rakstainie Cimdi』


手で書き写したようなチャートも味わい深く、また図案の質量もうっとりするほどすばらしく、眺めているだけであっという間に時間が経ちそうな一冊です。

また河野鷹思の図録は、東京国立近代美術館で行われた展覧会のときのもの。

『河野鷹思のグラフィックデザイン 都会とユーモア』


彼のデザインは、格好いいのだけれどシャープ過ぎず、温かみがあってモダン。
名取洋之助の「NIPPON」表紙を含め、日本の伝統色の使い方など、今の時代にもヒントになりそうな和×洋×グラフィックのハイブリッドデザインではないかと思います。

そして寺山修司の童謡集は、寺山修司=子守歌、ふるさとからきたであろう一冊。こちらはサイン入りです。

『日本童謡集』寺山修司編著(サイン入り)


個人的には裏表紙に入った深沢七郎の推薦文が相変わらずの深沢節で面白く、寺山×深沢のふたりの名まえが入っている「唄の本」というところがいいなあ、と思っています。深沢さんもギター弾きですしね。

新学期が始まり、PTAだとか、授業参観だとか、子ども会だとか(役員になってしまった…ううっ)あわあわしていた日々が、ようやく少し落ち着いてきました。
月の後半に向け、ネジを巻きなおしていきたいと思います(希望)。
よろしくお願いいたします。

4/13◎入荷のお知らせ ・内藤ルネ『薔薇の小部屋』

スウェーデンの織物本、アメリカの絵本、ローワンのパッチワーク本、内藤ルネの伝説乙女雑誌など入れました。

絵本『Let’s Find Out About Air』ソノシート付
絵本『Let’s Find Out About FALL』ソノシート付
創造の楽しみ・エリスのパターン集『Skapargladje-Elsies Monsterbok』
『薔薇の小部屋』2号・特集おもいでの少女小説
ローワン・パッチワーク&キルトNo.2『Rowan Patchwork and Quilting Book Number 2』ケイフ・ファセットの20のデザインなど

ルネさんの『薔薇の小部屋』は、いろいろな意味で力の入りまくった、とてもすばらしい本です。

『薔薇の小部屋』2号・特集おもいでの少女小説

吉屋信子、宇野亜喜良、森茉莉、熊井明子、松本かつぢ、田村セツコ、城夏子、淀川美代子、田辺聖子、美輪明宏などなど目次に並んだ名前だけとっても、「乙女街道」直球ど真ん中。
この世界のスターとでもいうべき方々がずらりと勢ぞろいしていて、ああ、ルネさん、ほんとうにこういう雑誌が作りたかったのね(涙)と、その振り切れ具合に胸が熱くなる思いです。
ルネさんの師匠・中原淳一もそうですが、吉屋信子はじめ、主要「乙女」メンバーの作品には、マイノリティのつらさ、さみしさ、やりきれなさ、そこから生まれる矜持のようなものがそこはかとなく感じられ、その「影」が乙女を乙女たらしめている重要な要素の一つなのではないかと思います。
たいへん濃ゆい一冊ですが、その濃さがお好きな方には、心を込めておすすめする一冊です。

どうぞよい週末を~。

3/16◎入荷のお知らせ 『アイヌの生活』

スウェーデン・ノルウェーの織物本、アイヌの人々の写真冊子、イタリアの手芸雑誌、フィリシタス・クーンのかわいらしい絵本など入れました。

スウェーデンの手織り本『Vav med tradition』伝統を織る
フェリシタス・クーンのイラスト絵本『 Uber Stock und uber Stein』
イタリア手芸雑誌『RAKAM』1993年3月号
イタリア手芸雑誌『RAKAM』1992年4月号
織り物のパターン集&織物ガイド二冊合本『Lar a vave pa tangentvev&Veve monstre』
『アイヌの生活』北方文化写真シリーズ
セゾン・ド・ノンノ特集・パリ大地図帳

今日入れた『アイヌの生活』は、アイヌの人々の暮らしぶりを写真とテキストで記録した一冊です。

『アイヌの生活』北方文化写真シリーズ


本書では、機織り、裁縫、むしろ編みなどにいそしむアイヌ女性の様子も、写真で取り上げられています。
アイヌ民族博物館HP(→LINK)によると
「好きな異性ができると、男性は女性用小刀などの道具類、女性は手甲などの衣服類をプレゼントし、受け取った側は、それらを身につけることで交際の意思表示をしたといわれます。」
とあるように、男女間の好意を表す手段として、ハンドメイドの品を贈りあうというのがいいですねえ。書籍コメントにも引用したように、
「刺繍の上手なことが女子の美点の一つに数えられると共に、美しい芸術彫刻品をつくることが男の誇りの一つとされていたのである」(「彫刻」『アイヌの生活』)
というのもすてきです。

明治初期のアイヌの人々といえば『イザベラ・バードの日本紀行』もよく知られています。
維新後まもない明治期に、東北を経て北海道に渡ったイギリス人女性イザベラ・バードは、どこか「ヨーロッパ的な」アイヌの人々がたいそう気に入ったようで、彼らの暮らしぶりを結構な分量をさいて克明に記しています。
「アイヌの女は、できるときにむしろや樹皮布を完成品あるいは材料として売りますが、夫は妻の儲けを取るようなことはしません。アイヌの女性はだれでも樹皮布のつくり方を心得ています」
「樹皮で織った布は耐久性があって美しく、自然の色合いもさまざまで、手芸愛好家におなじみの生地『パナマ・キャンヴァス』とどこか似ています」
機織り、入れ墨、結婚、女性の地位など、アイヌの人々の暮らしが、こちらは文章で、ですが、詳しく記されていておもしろい。
ちなみにこの本、上下二巻あり、アイヌの人々について触れてあるのは、下巻。おすすめです。
(出版社→ LINK ・アマゾン→ LINK

暖かくなったかと思ったら、今日は一転、ひどく寒くなりましたね。
季節の変わり目です。
良い週末を。

亡き妻へ 追憶集『白百合』 

「饅頭本」をご存知でしょうか?
饅頭のことを書いた本……では(残念ながら)ありません。故人を偲んで配られる追悼文集、または遺稿集を指す言葉で、お葬式のとき配られる葬式饅頭にちなんだ古書店用語です。

この饅頭本、故人がよほど有名でない限り、古書値はほとんどつきません。自費出版本の部類にはいる本ゆえ、内容も当然のことながら玉石混淆。なかには故人の華々しい(と思われる)業績を事細かに羅列した、辞典なみに分厚いものもあり、正直、「これ、もらってもちょっと困るなあ」と思ってしまうものも少なくない。
とはいえ、どんなジャンルのものでもそうですが、なかにはすばらしく面白いものもあります。少部数で非売品の、そんな饅頭本に出会うととてもうれしい。名もなき人の人生を、しみじみと教えてもらったような気分になります。
ずいぶん前、偶然手に入れた追憶集『白百合』も、そんな一冊でした。

編著者は、大正天皇の侍医であった西川義方さん。西川さんは『内科診療の実際』という、昔の開業医のほとんどが持っていたロングセラー(表紙の色をとって通称「青本」といわれたそうです)の著者でもあります。
そして『白百合』はその西川さんが40歳で急死した妻の一周忌に作った追憶集でした(西川さんは「追悼集」ではなく「追憶集」としているので、以下、ならいます)。
亡くなった奥さまは、明治25年、熊野、いまの和歌山県新宮市で材木商を営む裕福な家の末っ子として生まれたそうです。そして女学校を卒業後の19歳の春、東京帝国大学を卒業後、新宮病院長をしていた一まわり年上の西川さんと結婚。その後、日本医大で教えることとなった夫とともに上京。一家の主婦として20年余りに渡って家庭を支え、六男一女の七人の子どもを育てていたそのさなか、わずか二日の急患いで、亡くなってしまったといいます。末の子はまだ幼児でした。

いくら故人のためだとはいえ、追悼文集を作るのは、手間も時間もそして費用も、膨大にかかるものです。
おまけに当の夫は、大正天皇の侍医を務め、医者の六法全集ともいわれた本を残したほどの方。仕事に、執筆にと、さぞ多忙な日々を送っていたことでしょう。できるだけサクッとまとめたとしても、追悼集を出す、ただそれだけで、もう充分だったはずです。
ところが『白百合』がすごいのは、そんなサクッと感がみじんも感じられないところにあります。それどころか、こちらが驚くほどの手間のかけようで、その意外性がじつに興味深く、また胸を打つのです。

亡き妻のためには多少の労も惜しまない。
それはたとえば亡き妻の日記を掲載した章「妻の日記」からも伝わってきます。冒頭にそえられた、全12ページにも及ぶ西川さんの解説によりますとこの日記は、大正15年、大正天皇の侍医だった西川さんが、ヨーロッパへ医学旅行のため出発した年のものでした。一年の予定で旅立つ夫を見送るため、妻は船の出る博多まで一緒に行く予定だったといいます。ところが様々な事情で、ふたりは途中の神戸で別れざるを得なくなってしまいました。
「車中一人にて涙のかわくひまなし。生まれて初めての淋しさを覚ゆ」
その時の気持ちを、当時の日記にこう記した妻に対し、
「送りたくてたまらぬあなた、ついて行きたくてたまらぬあなたが、送って貰いたくてたまらぬ私、ついて来て貰いたくてたまらぬ私に送られて、私より先に汽車の客となって東へ、十分遅れて私は西へ淋しく旅立って行く」
と夫のほうも、じつに情熱的に振り返っています。

亡くなった妻への思いを熱く語る。『白百合』のどのページからもうかがえる、西川さんのそんな様子は、口下手で愛情表現が苦手、という私たちが抱きがちな「明治生まれの夫」とは、ずいぶん様子が違います。
けれども明治の終わりから大正にかけての時代はまた、与謝野晶子・鉄幹夫妻を中心とする浪漫主義文学運動のおこった時代でもありました。
「本当に私は淋しい、本当に私は悲しい、妻よ、妻、なぜ、あなたは死んで往った」
『白百合』のメインを飾る夫による追悼文「妻よなぜ死んだ」(じつに直球なタイトルです)で、こう書く西川さんは、同じ文章に、
「男は強く且(か)つ大きくありたい。然し蜘蛛の糸を揺(ゆす)る微(わず)かな風にも、情感の琴線は顫(ふる)わしたい」
との信念も記しています。対面を気にせず、自らの思いを率直に表現する。西川さんは、もしかしたらそれこそが真の男らしさであると思っていたのかもしれません。

さて、内科医であった西川さんは、もうひとつ、意外な顔を持っていました。それは各地に残る温泉の効能を研究する「温泉博士」としての顔です。
『白百合』によりますと、じつはこの「温泉研究」は亡き妻との旅行を兼ねて行っていたもので、いずれは集めた資料を整理し、夫婦ふたりの共著としてまとめたいと考えていたのだとか。
「元来この書は、亡き我妻やす子との共著たるべきものである」
一周忌に間に合うよう、『白百合』と共に上梓した『温泉と健康』の序文で、西川さんはこう記しています。そのうえで「共著」という章を『白百合』にもうけ、
「私の総ての著書は、あなたに依って慰められ、励まされて成ったものであるから、(略)あらためて、あなたにお礼を申すことにしました」
と、ロングセラー『内科診療の実際』やこの『温泉と健康』を含む、これまでの著書すべての序文を収めています。

不勉強なわたしは、『白百合』を手に取るまで、西川義方さんというお医者さまのことを知りませんでした。しかしながら、こんな明治生まれの人がいた。それを教えてくれたのは、西川さんが妻のために作ったこの渾身の一冊があったからで、そういう意味でいえば、この「饅頭本」もふたりの立派な、そして最も大切な共著のひとつ、ではないかと思うのです。

 『白百合』 編集兼発行者・西川義方 昭和7年発行

この本は、国会図書館に収められており、目次等の書誌情報もこちらで見ることができます(iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001923956-00)。
また池内紀さんの著書『二列目の人生』(集英社文庫)にも、西川義方さんについて取り上げた章があり、これによると西川さんは、三千ページにもわたる『内科診療の実際』の70版に及ぶ改訂のために、「たえず新しい医書にあたり、うまずたゆまず筆記した」のだそう。筆まめで律儀で、意欲と誠意にあふれたその姿勢は、『白百合』にも通じるものがあるようです。