17 April 2015 事始め

少し前から古文書を習い始めました。
正確にいうと、くずし字で書かれた古文書の読み方を勉強し始めたのですが、これがやはり(とうか案の定)、たいそう難しく、毎晩、鉛筆片手にうんうん唸りながら、辞書とにらめっこをしています。

そもそも古文書に興味を持ったのは、江戸時代の道中記がきっかけでした。
道中記とは、つまり旅日記で、それがどこにあるかというと、図書館の郷土資料コーナーなどで、あそこの棚に必ず(といっていいほど)入っている、ぶ厚い、なにかの重しのような「郷土史料集」等に、江戸時代の旅日記が、時おり紛れこんでいることがあるのです。

じつは以前から、日本を舞台にした古めの旅行記(イザベラ・バード『日本奥地紀行』、ケンぺル『江戸参府旅行日記』、清川八郎『西遊草』、ハーバート・G・ポンティング『英国人写真家の見た明治日本』等々)は、好きでよく読んでいました。少し前の「日本旅」と今はなき「水の道」に、若干の興味があったのです。

また「おばあちゃんの思い出ばなし系」の本も好きでした。
山川菊栄の『武家の女性』とか、酒巻寿の『おてんば歳時記』とか、小林重喜『明治の東京生活』などといった、歴史の表舞台に出てこない市井の人々の生活及び人生を、丁寧かつ愛情深く書きとめた本で、それらを読むと「歴史」という大きな「絵」を構成する、無数の、しかしかけがえのない「点」を見るようで、不思議と愛おしい気分になれました(この分野では、最近読んだ船曳由美さんの『100年前の女の子』も面白かったです)。
昔の日本旅と無名の人たちの暮らし。江戸時代の道中記には、このふたつがある気がして、わたしが道中記を集め始めたのは、だからかもしれません。

これまで集めた道中記は、たぶん60と少し(でも、まだまだ各地に膨大にあるはず)。
旅行が一大ブームとなった江戸時代後期のものが多く、書き手は村の支配階級である名主から豪商、さらには農民まで多岐に渡ります。記された形式も、行った場所だけ記したシンプルなものから、名所や宿の感想を記したもの、どこで何を払ったかを記したいわゆる小遣帳もあって、なかなかリアルでおもしろい。

江戸時代の旅は、領主の許可を必要としたため、神社仏閣(伊勢神宮など)への参詣や湯治が、その主な口実として使われました。
けれども、ホンネとタテマエを器用に使い分けるのは、今も昔も、日本の立派なお家芸です。
伊勢神宮への参拝のため、団体で村を旅立ったはずの人々は、その行き帰りに各地の名所旧跡を怒涛の勢いで回りまくり、京都や大阪にも立ち寄り、さらには伊勢のはるか先にある(東日本から行った場合)、金毘羅さんや厳島神社へも足を伸ばしています。

徒歩が基本の、気力と体力と好奇心に満ちみちた旅の様子は、それが実在した人物によって書かれたあれこれという意味で、現代の旅ブログのようでもあり(実際、当時の道中記は、村人や家族といった、後から旅に出る人のために記した心覚えという面があるようで、宿の良し悪しなど、口コミが記されている点でもよく似ています)、読んでいると時空を越えた旅をしているような気分になってきます。

しかしながら史料集などで読める道中記は、残された道中記そのものではなく、あくまでも二次史料でしかありません。くずし字で書かれた記録を読みやすく活字化(翻刻という)したものなのです。
そのため、それほど手こずらずに読める反面、読みたいものを誰かに音読してもらっているような後ろめたさ、というか歯がゆさも、徐々に感じるようになりました。できることなら書いた人の息遣い(というか、文字通り、筆使い)を直接感じられるような一次史料にいつかあたりたい、思うようになったのです。

そこでこの度、一発奮起して、勉強し始めたわけですが、まだまだ道ははるかに遠く、高く、でも今までワケが分からなかった「模様」が少しずつ「文字」に変わっていく過程は、パズルを解くようで、これはなかなかたまりません。
週一回、一緒に勉強させていただいているお仲間は、今のところ最高齢81歳で、わたし以外のほとんどがリタイヤ組。ということは、うまくいけば年を重ねても続けていける趣味になるのでは、とも(勝手に)思っています。
しかしまあ、家族及び友人には「はあ? こもんじょ? なんでそういう苔っぽいところばかりにいくのかね?」と呆れられてはおりますが……。