
このお正月、帰省にかこつけて郷土玩具「寅童子」を買いに、愛知県新城市にある鳳来山東照宮へ行ってきました。
鳳来山東照宮は並んで建つ鳳来寺と合わせて、江戸時代の旅行記にもよく出てくる名所です。
場所は愛知県東部。今の豊橋市の上あたりで、東海道からずいぶん外れた場所にありますが、浜名湖にあった新居関所を迂回するため、また家康ゆかり神社仏閣であるため、多くの人々が参拝したといいます。
東海道から離れた鳳来寺は、また難所としてもよく知られた場所でした。険しい山の上にあるため、足場の悪い崖をよじ登るだけでも一苦労。
そのため敬遠する旅人もなかにはおり、幕末の志士で、母親と半年間に及ぶ孝行大旅行をした清川八郎(しかし幕末の動乱でその後、34歳で暗殺される。無念)も、
「されども鳳来寺は山中にて、殊に難儀のよし、至るものいずれも後悔せざるなければ、格別の名所とても唯仏神あるのみなれば、我等も鳳来寺、秋葉山は延行の積(つもり)にいたす」
と、
「てか、鳳来寺って山の中で、行った人みんなが後悔するくらいすげーたいへんな場所で、おまけに名所っていってもお寺と神社だけだから、俺らも鳳来寺と秋葉山は今回はやめとくことにする」(超意訳)
と旅行記『西遊草』(岩波文庫)に書いているほどです。
我々も正月三が日、その難儀さを思い知らされるような急角度の山道を車で登り、山の中腹にある駐車場(たしか500円)に車を停めました。
と、駐車場から境内へ向う遊歩道に出てすぐ、二軒ほどある土産物屋で、もう「寅童子」を発見。店先の棚の上で、総勢六名(個?匹?)がずらりと並んでこちらを見ています。筆で描かれた顔が思ったよりも味わい深く、とてもかわいい。

寺に伝わる由緒によりますと、家康の母・於大の方は、夫広忠より強い男の子がほしいと願い、鳳来寺へ参詣して、薬師如来に祈りました。すると天文11年12月26日、つまり寅の年・寅の日・寅の刻に元気な男の子が生まれました。のちの家康公です。ところが不思議なことに、ちょうどその時、鳳来寺峯薬師の十二神将の一つ「真達羅大将(寅童子)」が突然、姿を消してしまいました。元和二年、家康が亡くなると、寅童子は再び元の場所に戻ったといい、そこから家康は寅童子の生まれ変わりだといわれるようになったということです。
「寅童子」は、この話をもとに作られた玩具で、円錐形の起き上がり小法師に、寅の絵付けがしてあります。昭和30年ごろから作られていたそうですが、平成の始めごろ途絶えてしまいました。しかし寅年である2011年に見事、復活。色ももとからあった黄土色に加え、鮮やかな橙色も加わってパワーアップしたのだとか。
駐車場から境内までは、舗装された遊歩道を行く、およそ10分の道のりです。青く連なる山々とその下に連なる人家が、冬枯れの木立の間からきれいに広がります。正月に降った雪が道のわきで溶け残り、凍った湧水がぽたぽたと冷たいしずくを落としているところもありました。

東照宮に着き、険しい石段を登ります。小ぶりだけれど威厳のある拝殿にお参りを済ませ、社務所で無事、「寅童子」を入手。現在は、高さ約10センチの通常バージョンの四倍はあろうかと思われる特大・寅童子も、現在は作られているそうで、社務所にはそちらもありましたよ。

「寅童子」は、いま我が家の玄関に飾ってあります。お正月の澄み切った空気、うっそうとした杉林に囲まれた拝殿、その前で静かに手を合わせる人々。見る度にそんな土産物の記憶がよみがえってくるようです。
「寅童子」 愛知県新城市 鳳来山東照宮
現在は鳳来山東照宮で授与されている他、市内各所で土産物として売られているそうです。