亡き妻へ 追憶集『白百合』 

「饅頭本」をご存知でしょうか?
饅頭のことを書いた本……では(残念ながら)ありません。故人を偲んで配られる追悼文集、または遺稿集を指す言葉で、お葬式のとき配られる葬式饅頭にちなんだ古書店用語です。

この饅頭本、故人がよほど有名でない限り、古書値はほとんどつきません。自費出版本の部類にはいる本ゆえ、内容も当然のことながら玉石混淆。なかには故人の華々しい(と思われる)業績を事細かに羅列した、辞典なみに分厚いものもあり、正直、「これ、もらってもちょっと困るなあ」と思ってしまうものも少なくない。
とはいえ、どんなジャンルのものでもそうですが、なかにはすばらしく面白いものもあります。少部数で非売品の、そんな饅頭本に出会うととてもうれしい。名もなき人の人生を、しみじみと教えてもらったような気分になります。
ずいぶん前、偶然手に入れた追憶集『白百合』も、そんな一冊でした。

編著者は、大正天皇の侍医であった西川義方さん。西川さんは『内科診療の実際』という、昔の開業医のほとんどが持っていたロングセラー(表紙の色をとって通称「青本」といわれたそうです)の著者でもあります。
そして『白百合』はその西川さんが40歳で急死した妻の一周忌に作った追憶集でした(西川さんは「追悼集」ではなく「追憶集」としているので、以下、ならいます)。
亡くなった奥さまは、明治25年、熊野、いまの和歌山県新宮市で材木商を営む裕福な家の末っ子として生まれたそうです。そして女学校を卒業後の19歳の春、東京帝国大学を卒業後、新宮病院長をしていた一まわり年上の西川さんと結婚。その後、日本医大で教えることとなった夫とともに上京。一家の主婦として20年余りに渡って家庭を支え、六男一女の七人の子どもを育てていたそのさなか、わずか二日の急患いで、亡くなってしまったといいます。末の子はまだ幼児でした。

いくら故人のためだとはいえ、追悼文集を作るのは、手間も時間もそして費用も、膨大にかかるものです。
おまけに当の夫は、大正天皇の侍医を務め、医者の六法全集ともいわれた本を残したほどの方。仕事に、執筆にと、さぞ多忙な日々を送っていたことでしょう。できるだけサクッとまとめたとしても、追悼集を出す、ただそれだけで、もう充分だったはずです。
ところが『白百合』がすごいのは、そんなサクッと感がみじんも感じられないところにあります。それどころか、こちらが驚くほどの手間のかけようで、その意外性がじつに興味深く、また胸を打つのです。

亡き妻のためには多少の労も惜しまない。
それはたとえば亡き妻の日記を掲載した章「妻の日記」からも伝わってきます。冒頭にそえられた、全12ページにも及ぶ西川さんの解説によりますとこの日記は、大正15年、大正天皇の侍医だった西川さんが、ヨーロッパへ医学旅行のため出発した年のものでした。一年の予定で旅立つ夫を見送るため、妻は船の出る博多まで一緒に行く予定だったといいます。ところが様々な事情で、ふたりは途中の神戸で別れざるを得なくなってしまいました。
「車中一人にて涙のかわくひまなし。生まれて初めての淋しさを覚ゆ」
その時の気持ちを、当時の日記にこう記した妻に対し、
「送りたくてたまらぬあなた、ついて行きたくてたまらぬあなたが、送って貰いたくてたまらぬ私、ついて来て貰いたくてたまらぬ私に送られて、私より先に汽車の客となって東へ、十分遅れて私は西へ淋しく旅立って行く」
と夫のほうも、じつに情熱的に振り返っています。

亡くなった妻への思いを熱く語る。『白百合』のどのページからもうかがえる、西川さんのそんな様子は、口下手で愛情表現が苦手、という私たちが抱きがちな「明治生まれの夫」とは、ずいぶん様子が違います。
けれども明治の終わりから大正にかけての時代はまた、与謝野晶子・鉄幹夫妻を中心とする浪漫主義文学運動のおこった時代でもありました。
「本当に私は淋しい、本当に私は悲しい、妻よ、妻、なぜ、あなたは死んで往った」
『白百合』のメインを飾る夫による追悼文「妻よなぜ死んだ」(じつに直球なタイトルです)で、こう書く西川さんは、同じ文章に、
「男は強く且(か)つ大きくありたい。然し蜘蛛の糸を揺(ゆす)る微(わず)かな風にも、情感の琴線は顫(ふる)わしたい」
との信念も記しています。対面を気にせず、自らの思いを率直に表現する。西川さんは、もしかしたらそれこそが真の男らしさであると思っていたのかもしれません。

さて、内科医であった西川さんは、もうひとつ、意外な顔を持っていました。それは各地に残る温泉の効能を研究する「温泉博士」としての顔です。
『白百合』によりますと、じつはこの「温泉研究」は亡き妻との旅行を兼ねて行っていたもので、いずれは集めた資料を整理し、夫婦ふたりの共著としてまとめたいと考えていたのだとか。
「元来この書は、亡き我妻やす子との共著たるべきものである」
一周忌に間に合うよう、『白百合』と共に上梓した『温泉と健康』の序文で、西川さんはこう記しています。そのうえで「共著」という章を『白百合』にもうけ、
「私の総ての著書は、あなたに依って慰められ、励まされて成ったものであるから、(略)あらためて、あなたにお礼を申すことにしました」
と、ロングセラー『内科診療の実際』やこの『温泉と健康』を含む、これまでの著書すべての序文を収めています。

不勉強なわたしは、『白百合』を手に取るまで、西川義方さんというお医者さまのことを知りませんでした。しかしながら、こんな明治生まれの人がいた。それを教えてくれたのは、西川さんが妻のために作ったこの渾身の一冊があったからで、そういう意味でいえば、この「饅頭本」もふたりの立派な、そして最も大切な共著のひとつ、ではないかと思うのです。

 『白百合』 編集兼発行者・西川義方 昭和7年発行

この本は、国会図書館に収められており、目次等の書誌情報もこちらで見ることができます(iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001923956-00)。
また池内紀さんの著書『二列目の人生』(集英社文庫)にも、西川義方さんについて取り上げた章があり、これによると西川さんは、三千ページにもわたる『内科診療の実際』の70版に及ぶ改訂のために、「たえず新しい医書にあたり、うまずたゆまず筆記した」のだそう。筆まめで律儀で、意欲と誠意にあふれたその姿勢は、『白百合』にも通じるものがあるようです。