『北欧〈伝統の編物〉』

読み返すたびに、なにかをもらえる。そういう本、誰にでもあると思いますが、『北欧〈伝統の編物〉』も、わたしにとってそんな本のひとつです。

この本は、今からおよそ35年ほど前、1981年のデンマークで出版されました。著者は、手工芸作家であるヴィーベーケ・リンド。日本では、日本ヴォーグ社から1983年に翻訳版が出ており、わたしが持っているのは、この日本語版です。

この本の何がすごいかというと、まず驚くほど豊富な情報量です。
用意された章は、ぜんぶで八つ。「羊毛から編物へ」「編物の可能性」「セーターとカーディガン」「ショールとスカーフ」「帽子」「ミトンと手袋」「ハイソックス」「羊毛製品の取扱い方」で、これだけだとすこし固めの編物教則本のようですが、肝心なのはその中身です。

たとえば、「帽子」の章では、ただ単によくある帽子の編み方を、簡単な図案(なんと本書はすべて手書き!)つきで解説しているだけではありません。
北欧の伝統的な帽子の編み方をいくつか取り上げつつ、「特別に温かい」二重の帽子を作るため、二枚の帽子を一度に編むという驚愕技法をさらりと紹介し(「2本の糸で編むダブル編の帽子」)、引き返し編みの一種で縦に編んでいく帽子の編み方を、「基本形を長くしてみたり、縁どりしてみたりすると、いろいろな型にアレンジできます」とのアドバイスつきで教えてくれています(「縦に編んだ帽子」)。

目をみはる技法の披露は、もちろん帽子だけではありません。
二本の糸を1目ごとにねじりながら、つまり編み込み模様の裏面のように編んでゆく「ねじり編」(ノルウェーやスウェーデンで使われていた「古い編み方」で、「普通の編込み模様の目よりも伸縮性があり、仕上がりがきれい」なのだとか)のミトンや、棒編みで作る「ニットのバイヤステープ」の編み方など、どのページにもキラキラと光る宝石のような技法が、ぎっしりと詰めこまれているのです。

そのうえさらにすばらしいのが、この本に一貫して流れている編み物への姿勢です。

たとえば、それはセーターの袖口を細くする方法に、よく現れているような気がします。袖口から肩まで徐々に大きくなる台形状のものを編むわけですから、普通に考えれば、増目または減目を使うのがいいのでは、と思うところですが、著者は増目に加えて、「袖口には細かい模様で、(編み込み模様の)配色糸を引っ張りぎみに編み、上にいくに従って徐々に模様も間隔も広く」していく方法もあるというのです。

ちなみに、編込み模様は(ご存じの方多いと思いますが)糸を引っ張り過ぎずに編むのが、基本中の基本で、そうしなければ編み地が見事に波打ち汚くなる、とこれは編込みを扱ったほとんどどの本にも書いてある、鉄板のセオリーです。
それなのに、その糸をわざと「引っ張りぎみ」に編んでしまうとは! 
場合によっては編み手の技術不足となりそうなことまで、「コツ」として使ってしまう。この底なしとも思える包容力は、目からうろこの衝撃でした。

思えば、我が国での編み物は、もともと明治期に外国から入って来た文化のひとつでありました。
羊がいて、羊毛があって、長い年月をかけて人から人へ、試行錯誤の末、受け継がれてきたものではなく、すでにある「知識」として上から降ってきたものだったのです。
「お手本」や「正解」にとらわれず、どんな技術もするりと吞み込み、いい意味で自分勝手に使いこなす。すばらしく自由な姿勢で編み物を楽しむ著者の姿勢からは、多くの自己流を呑み込みながら進化した「伝統」(本のタイトルにもなっていますが)の厚みと懐の深さのようなものも感じます。
もしかしたらほんとうの編み物とは、こういうものなのかもしれません。

『北欧〈伝統の編物〉』は、翻訳本であるため、すべての編み図がきちんとついている訳ではありません(海外の編み物本は、文章で書かれた編み方を追って編むのが一般的で、日本のような編み図がないのが普通です)。だから、これをそのまま使えば即、素敵な作品が一丁上がり、というタイプの本でないことは、残念ながら確かです。
それでも、北欧の伝統図案はこれでもかというほど載っていますし、編み物についての読みものとしても楽しめるインスピレーションの宝庫のような本なので、日本の編み物作家さんでも、この本を愛用している方、(私見ではありますが)多いのではないでしょうか。

このページの向こうに、まだ知らない世界がひろがっている。実用書であれ、なんであれ読者をそういう気持ちにさせてくれる本こそが(わたしにとっての)「正しい本」で、そういう本があるということは、やはりとてもうれしいことです。

 『北欧〈伝統の編物〉』

この本は、海外でも人気なのか、去年、アメリカで復刊され、手軽な値段で買えるようになりました(アメリカ版アマゾン【リンク】。表紙が違いますが同じ本で、中身も少し見ることができます)。日本語版は現在のところ残念ながら版元品切れ。読みどころの多い本なのでぜひ復刊して欲しいところです。